「働かないオジサンになる人ならない人」という本によると、サラリーマンは40歳付近で壁にぶつかることが多いそうだ。
会社員人生には前半戦と後半戦の2つの段階がある。
- 前半戦:~30代中盤
- 後半戦:30代後半~
20代から30代は、目の前の仕事に懸命に取り組むことで、成長の実感や満足感を得ることができる時期。
そして40歳あたりで仕事に一定のメドがつく。この時期に働く意味に疑問を持ったり、面白みを感じなくなったりすることが多いのだという。
会社員人生は大きく分けると、入社してから仕事を通じて自立していく時期と、組織での仕事に一定のメドがついてから、自分のあり方を考える時期の2つの段階がある。
これはサラリーマンの話だが、勤務医も同じ立場にあるのではないか。
知識や手技が頭打ちになって、なんとなく「満たされない気持ち」を抱えている人もいるのではないかと思う。
「満たされない」ということが、40歳以上のビジネスパーソンの中心的な課題であると言っても過言ではない。
これは仕事人生が後半戦に入りつつあるということである。
目の前の課題に一生懸命取り組むだけでは、いつの間にか課題がなくなり、ルーチンワークを機械的にこなすだけの働かないオジサンになってしまう。
そしてこの時期こそが、働き方について真面目に考える最後のチャンスなのだという。
会社で働く意味に疑問を持ったり、面白味を感じなくなったときは、むしろ「会社とは何か」「組織で働くとはどういうことなのか」を深く考えるチャンスである。
今回は働かないオジサンになりつつある(なってしまった?)自分の働き方について考えてみた。
働かないオジサンの特徴
働かないオジサンの特徴は「こういう仕事をやりたい」という意欲が感じられないことなのだという。
その理由は仕事も出世も他律的に決まるから。
中高年社員から「こういう仕事をやりたい」という意欲が感じられないのは、仕事も出世も他律的に決まるものだからである。
医局に言われた通りの人事で動く勤務医も同じようなものなのではないか。
自分も医局人事で病院を移りながら、専門医など目の前の課題をクリアしていくだけで、本当にやりたいことが何なのかを深く考えてこなかった気がする。
「働かないオジサンになる人ならない人」では細々とした対策が書かれているんだけど、もっと広い視野で考えてみたい。
最近読んだ「ニュータイプの時代」という本には、このあたりのことがもっと掘り下げて書かれていた。
仕事の意味が感じられず仕事の実感を得られていない人は実はとても多く、日本全体の問題であるらしい。
およそ8割から9割の人は自分の仕事に意味ややりがいを見出せていないことが示唆されています。
これはなぜなのか。
答えは資本主義経済にあるとのことである。
急に話が大きくなり戸惑うが、働き方を考える上で経済学を学ぶのは必然である。
資本主義経済と仕事の意味
資本主義経済の原則は「経済が回る」こと。
労働者は企業から労働の対価として給与を受け取り、消費によって企業へお金を支払う。
経済が回るとは人と企業の間でお金が行き来することである。
企業→(給与)→人→(消費)→企業
このように経済を回すことで資本主義経済は拡大し、人々の生活は豊かになっていった。
モノは供給過多になり、生産のために必要な労働は減っていく。そして働かなくても生きていける時代になっていくかと思われた。
ところが労働が減ると経済が回らなくなってしまい、資本主義経済が停滞してしまう。
そこで経済学者ケインズが提唱したのは、経済を回すために無理やり仕事を作るという方法。
いわゆる公共事業である。
そして世の中には経済を回すための無意味な仕事が溢れていった。
この資本主義経済を維持するためだけの無意味な仕事に、多くの人が従事させられているのだという。
システムの歯車として働かされる。さながらディストピアのようでもある。
要するに現代の仕事に意味なんか無いということだ。仕事の実感が持てないのも当然である。
戦後日本は「豊かになりたい」という明確な目標が与えられ、それを目指して努力すればよかった。
私たちは明治維新以来、常に「目指すべき目標」が明確に示され、それを目指して努力すればいいという状況にありました。
しかし豊かになってしまった現代では、そんなわかりやすい目標は存在しない。
「仕事の意味は外から与えられることはない。意味は自力で設定しなければならない。」というのが山口周氏のメッセージである。
ここに働かないオジサンにならないためのヒントがあると思う。
仕事の意味を見つける
医者になった後、専門医だったり、学位だったりと明確な目標が与えられ、それを目指して努力すればいいという状況にあった。
しかし最近目標が失われてしまっていると感じていた。
そこで、今の仕事の枠の中でなんとかやりがいを見つけようとしてきた。
学会活動であったり、臨床研究であったり。
しかしこれらはすべてこれまでの仕事の延長線上。
与えられた目標に対して一生懸命にやる、という行動しかできてない自分がいた。
目標は自分の中に見つけなければならない。
山口周氏によると、目標の設定のために必要ものは2つある。
- リベラルアーツ
- 内発的モチベーション
一つは哲学や歴史などの教養(リベラルアーツ)である。
目標とは自分のあるべき姿。それは教養に基づく個人の世界観、思想によって規定される。
教養がない人には、自分のあるべき姿を規定することができない。
「あるべき姿」は個人の全人格的な世界観・美意識によって規定される。どうしてもリベラルアーツに根差した人文科学的な思考が必要になります。
「哲学が大事だ」なんて言葉を聞くと、「老害的なことを言いやがって」「クソくらえ」と思っていたが、この年になると教養のない人の言葉は浅く感じてしまう。
いかに仕事の哲学を作り上げていくか。
またもう一つ大事なのは、自分の内発的モチベーションを深く知ること。
本当は何がしたいのかを知ることで、人生の目標が明確になる。
内発的モチベーションを持っている人は、自分の仕事の意味を形成することができる人材ということになります。
どのような仕事やタスクで内発的モチベーションが湧くのかを把握することが重要になる。
「患者を救いたい」みたいな薄っぺらいものでは、おそらく役に立たない。
患者を救いたいなら、それは何故なのか。承認欲求を満たすためなのか。
承認欲求を満たすことが人生の目的になりうるのか。
そこらへんまで分析していく必要があるだろう。
まとめ
仕事人生が後半戦に突入すると、仕事の意味が外から与えられることは少なくなってしまう。
働かないオジサンにならないためには、仕事の意味を自分で設定する必要がある。
ここで何も考えずに開業を選んでも、また同じ壁にぶち当たるのかもしれない。
勤務医を辞めた理由の一つに「先が見えた」というのもある。経験を積むにつれ成長の速度が鈍化し、自分がプラトーに達しているかのような感覚。それが開業という真新しい世界で何か変わるのではないかという期待。
そして開業が軌道に乗ると再びプラトーが見えてくる。打開するには分院しかないのか。
ここからは、もっと深く自己と向き合わなければならないようだ。
安易に転職や起業をしてもうまくいかない。答えは自分の外にはないからだ。
自己に向き合うことは、相当な努力を要し、時間もかかり、孤独を伴う。
教養と内発的モチベーションから自分の目標を組み立てていく。
次回は、また別の本から職業人生の後半戦を考えてみたい。
つづく
Source: 皮膚科医の日常と趣味とキャリア
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