某所、迷走坊主の記事で、
私の場合はもし私のことが嫌いと言う人が居ても、「それはそれは残念でしたね~。あなたが~!」と思っています。そして実際そういう人は本人は強がっていますが、客観的に見て世間では残念な人生を送っている場合が多いです。本当に残念な話ですね。だから私には自己認証欲求というものが殆んど無いと思います。たとえ明日死んでも「色々あったけど、とっても良い人生だった」と、誰も認めてくれなくても私は感謝できますね。
と書いてありますけど、、、
>そして実際そういう人は本人は強がっていますが、客観的に見て世間では残念な人生を送っている場合が多いです。
どーして、そうだと決めつけるんですかね???
本当にただ只管打坐して悟っているのなら、、
相手が客観的見て世間では残念な人生を送っているとか、そういうコトは一ミリも考えないし、思いつかない。
「アイツは実は幸せではない」とか
そもそも客観的にというのは、ゼニとかモノとかそういう部分ですね。
そこを気にしている卑しい性根が露呈している。
外資の社長だったとか、、
筋トレでスタイル良いとか、、
ロードバイク楽しんでますとか、、
自己承認要求の塊みたいなブログを書いている(笑)
座禅瞑想、、
座って大悟したなら、、
そういう世界にはいない。
立って半畳、寝て壱畳、厠姿はみな同じなんで、、、
佐々木将人(合気道)位人臣極めた王侯も 名もなき一介の凡人も、
目は二つで鼻一つ 足で歩いて手で掴み
尻でもの言う人はない
立って半帖寝て一帖、天下を盗っても四帖半、
着物は一着ご飯は二杯
寝だめ食いだめ着だめも出来ず
厠の姿は皆同じ
風呂に入る時は皆裸
何かあるのが人生で
幸も不幸も生きている証拠
嵐の中でも時がたつ 過ぎて仕舞えば屁の如し
泣いて暮らすも笑ふて住むも 同じこの世の浮世なり
貧も病いも人生の糧、
然も心は現在を要し
昨日は返すに由なく
明日は未だ我が手に非ずの
今今今の中今に立つ
されば心と体には
より多くの喜びと楽しみを与えつヽ
悠々と人生道を味ふ乾舟(けんしゅう)
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2
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