頑張れば報われるのでしょうか?【書評】人生は勘違いさせる力で決まっている

その他ドクター

 

みなさんには座右の銘があるだろうか。

自分が好きなのは「天才は1%のひらめきと99%の努力である」というエジソンの言葉。

この意味は、エジソンもすごく努力していたんだよ・・ということではない。

1%のひらめきがなければ、いくら努力してもムダだよ・・というメッセージなのだ。

 

努力は成功のための必要条件だが、十分条件ではない。

 

ただ無闇やたらに100%努力したところで得られるものはなにもない。

何に向かって努力するのか、99%分の努力の方向性を決める1%のひらめきが重要なのである。

 

これはメタゲームなんて言われることもある。

盤外戦とも呼ばれる、ゲームを実際に行う前の段階で発生する駆け引き・戦略のことである。

 

昔から努力とか根性とかの言葉が嫌いだった。

不器用で、努力しても報われないことが多かった自分は、何も考えずがむしゃらにやれば成功できるというメッセージに欺瞞を感じていた。

努力したって成功なんかできないんだよ・・と。

その考えがどう変わったのか。

今回は努力について考えてみたい。

 

頑張ったから成功したのか?

 

「頑張ったから成功したんだ」という人の言葉は真に受けていいのだろうか。

以前紹介した投資マンガ「インベスターZ」に、これに関わる面白いエピソードがあった。

人口ボーナスという話である。

インベスターZに学ぶクリニック開業の考え方

話題の投資マンガ「インベスターZ」を読んだ。

>>皮膚科医の読書記録8月

投資の話ばかりと思いきや、投資以外の話題も豊富。

ベンチャーや個人商店のビジネスの話。生命保険や不動産、iPS細…

 

人口ボーナスとは、急激な人口の増加によって経済が活発になる状態を言う。

どんな国にも一度だけこのボーナスが与えられる。

 

日本が高度経済成長を遂げられた理由は、日本人が頑張ったからではなく、単純に人口が増える時期だったからなのだという。

(インベスターZ 6巻より)

 

本当は何をやってもうまくいった時期だったけれど、それを努力のお陰だと信じてしまっているのが団塊の世代だと言えるだろう。

がむしゃらに頑張ったから成功したと勘違いして、「最近の若者はダメだ」と言ってしまう。

 

このあたりのことは以前medtoolz先生がブログで書かれていた。

【関連】臨床で必要なことはすべてmedtoolz先生から学んだ

 

彼らは「頑張れば報われる」と教わって、本当にそのまま頑張ったら、どういうわけか報われた世代である、と。

1970年代ぐらいのある時期、「頑張れば報われる」と教わって、本当にそのまま頑張ったら、どういうわけか報われた世代というのがたしかにあった。

あのあたりを生きてきた人たちが頂点に立ってみて、次の目標を決められなくて、仕方がないから椅子にしがみつくという情景が、たぶんいろんな業界で認められているんだろうと思う。

 

がむしゃらな努力の重要性を説く人に出会ったとき、その言葉に欺瞞がないかどうかよく観察する必要があると思う。

「頑張ったから報われたんだ」という言葉は、後続を殺すための欺瞞情報になる可能性もある。

何をやっても上手くいった時期は、実は「努力しなくても」上手くいったのだけれど、努力した人も、同じような成功体験を手に入れた。

「頑張った」人たちが、「僕たちは頑張ったから報われたんだ」なんて賢しげにつぶやくのは、それはもう、後続を殺すための欺瞞情報なんだと思う。

 

がむしゃらな努力の効用

 

しかし、がむしゃらな努力が不要というわけではない。

最近読んで面白かったのは「人生は勘違いさせる力で決まっている」。

 

「人の評価は実力ではなく、肩書や業績によって決まる」ということは、誰しも実感として持っていると思う。

それを「錯覚資産」として言語化したのがこの本のすごいところである。

 

錯覚資産とは実力があるように錯覚させる力。

これによって活躍の場が与えられたり、色々な仕事が舞い込んだりする。

成功のためには、実力だけでなく錯覚資産も重要なのだ。

 

立派な経歴、偉そうな肩書、数字で表れるわかりやすい業績。そして結果をアピールする力。

しょせん空虚なハリボテではあるが、それを無価値なものとして捨て置くのは二流のやること。

虚像であることを自覚した上で、上手に利用するのが一流のやり方である。

自分を成長させるためにはスキルアップだけではダメで、自己アピールも重要なのだ。

 

そして、がむしゃらな努力は偉い人へのアピール法の一つとなりうる。

となると、努力は錯覚資産を生むための武器であると考えることもできるだろう。

 

がむしゃらな努力が得意な人がいる。

若い時は、そんな無意味な努力アピールに対して嫌悪感を抱いていた。

でも斜に構えて何もしないよりも、処世術として努力を使いこなす器用さを身につけることが大人への第一歩だったんだなと思う。

 

「漫然と努力しても成功なんてしないけど、老人たちに気に入られるためのアピールとして表面だけでもやっておいたほうがいいよ。」

なんてメッセージを誰かがくれれば、ひねくれ者の自分もその気になったかもしれない。

 

medtoolz先生はアピールとしての努力を「年寄りの尻を舐める」と表現されている。

偉くなるために、年寄りの尻を舐めるのは大いに結構。

ただしあくまでもアピールであることを忘れてはならない。

万が一「じじいの肛門を吸引すると元気が出るぞ」なんて勘違いをしてしまうと、病気になって倒れてしまう。

「俺は偉くなるために年寄りの尻舐めたんだ」って威張るのは、むしろ大いに「あり」だと思うし、そういうことを包み隠さず話してくれる人の言葉はとても大切なんだけれど、「じじいの肛門を吸引すると元気が出るぞ」って後輩に教えたところで、それを実践した下級生は、たぶんみんな病気になって倒れてしまう。

 

まとめ

 

王貞治の有名な言葉がある。

「努力は必ず報われる。報われない努力があるとするなら、それはまだ努力とは呼ばない。」

 

この言葉が好きな人は多いようだが、自分はあまり好きではない。

報われない努力は、努力の量が足りないのではなくて、努力の方向性が間違っているんじゃないか。

努力という武器の危険性と、正しい使いかたをよく理解しておきたいと思う。

 

▼がむしゃらな努力について考える上で、こちらの本もオススメ▼

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Source: 皮膚科医の日常と趣味とキャリア

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