神の詩 第三章第十~十二節 1

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神の詩 第三章第十節

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「アルジュナよ、
はじめに、ブラジャーパティ(創造神)は祭祀とともに人類を創造して言った。「これ(祭祀)によって繁殖せよ。これが汝等の願いをかなえる乳牛(カーマドゥク)であらんことを。」(十)」
「これによって神々を慈しめ。そうすれば、神々も汝等を慈しむだろう。互いを慈しんでいれば、汝等は最高の幸せを得るだろう。(十一)」
「祭祀によって慈しみを受けた神々は、汝等が望む喜びを授けるだろう。神々を供養しないで神々の恩恵を受ける者は、盗賊に他ならない。(十二)」

ここ十~十二節までクリシュナは、
神話を引用します。

「はじめに、・・・と神が言った。」
という文章は
ヴェーダからの引用であり、
比喩的な意味が隠されています。

ヴェーダは、
人が書いたものではなく、
高次元の叡智が
古代の聖賢たちを通して
地上に明かされたものとされています。

ここに登場する乳牛カーマドゥクは、
あらゆる願いを叶えてくれる
神話上の牛です。

聖者ヴァシシュタが所有していた牛でした。

ある日
ある国の王様が、
聖者ヴァシシュタの住む森にやってきました。

王様は
大人数の従者たちと共にやってきましたが、
すでに
手持ちに食べるものがなく、
全員お腹が空いていました。

王様ご一行は、
ヴァシシュタの小屋を見つけると、
何か食べるものを提供してくれないか頼みました。

すると
ほんの五分程度のうちに
全員に食事が配られました。

王様はびっくりして
「どうしてそのような事が出来たのか?」
とヴァシシュタに尋ねました。

すると
聖者ヴァシシュタは、
「裏庭に牛がいるからです。」
と答えます。

王様は
「牛とこの素晴らしい食事とどういう関係があるのだ?」
と尋ねます。
ヴァシシュタは、「あの牛は、願うものをなんでも具現化できるのです。」
そこで
王様は、「あの牛を私にくれないか?」と聞きます。

ヴァシシュタは、
「牛を差し上げても良いが、この牛はブラフマリシに到達した人にしか従わないのです。従って、王にとっては全く役に立ちません。」
と答えました。

この牛は、
人が神を愛し、
神がその恩寵として与えるものの象徴されるものです。

ちなみに、
余談になりますが、
ヒンズー教では牛が神聖視されています。

インドにおける牛は、
紀元前七千年紀(今からおよそ8000-9000年前)頃に
羊や山羊と共に家畜化された
と考えられています。

特に
牛糞は、
かなり古い時代から儀式に使われていたことが
判明しています。

聖典「リグ・ヴェーダ」によると、
牛は財産であり、
神への供犠として捧げられていた
ことが記されています。

紀元前六世紀頃(今から2600年前)には、
徐々に肉食への批判が生まれていったようで、
仏教やジャイナ教などの宗教でも提唱する
不殺生
が新たな潮流となっていったようです。

そして
次第に
牛の産物である乳汁や糞などが、
浄化と贖罪の力を有する
と考えられるようになっていきました。

それは、
牛は、
人が食べることのできない草を食べて、
牛乳やバター、発酵ヨーグルト、ギーなどという
人の健康に寄与するものを作り出して
提供してくれること。
同様に
牛の産物が、
歯磨き粉や洗顔クリーム、石鹸、食器洗浄剤などの
日用化粧品から虫よけや家の壁材、燃料まで
幅広く利用されていくようになります。

そして、
神々への祭祀に乳や糞が使われていたことから、
次第に神聖視されるようになりました。

続きます。

精解 神の詩 聖典バガヴァッド・ギーター 2
森井 啓二
きれい・ねっと
2021-08-20


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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