自分は新橋で行われていた「藤原塾」に通っていたことがありました。
藤原直哉先生の言うべきことは頭に入れて動いた方が良いと。
そんな感覚しかありません。この内容を全て肯定できるとは思いませんが。
藤原直哉先生の言うべきことは頭に入れて動いた方が良いと。
そんな感覚しかありません。この内容を全て肯定できるとは思いませんが。
精神の世界に入って来た、と感じます。
ブログは記事が時間により消えてしまいますのでホームページに載せた記事を載せます。
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1,身体と精神の構造
この説明まで来ると…病気という現象の深さを話さなければなりません。
そんなことを感じて記事にしています。
身体と精神は相対的な運動をしていると考えられます。
精神を深く追求すれば…精神は表在意識と潜在意識の2つに分かれており、大きさとしては潜在意識の方が大きく、その潜在意識は無の世界である神の世界と繋がっています。
このことは、身体は表在意識と潜在意識に狭間にあることになります。
潜在意識が行く方向を示しても「表在意識である自分が嫌だ!」と思えば、精神的な障害がでるか? 身体の障害が出るか? そのどちらかになります。
何故…表在意識と潜在意識の食い違いが起きると病気が起きるか?ですが、これは身体・表在意識・潜在意識と3つ組み構造を取っているからに他なりません。この3つでバランスを取って生きているのが人間という動物なのです。
コロナ後の世の中で精神的に弱い人が多くなった理由は、栄養が良いことから身体が丈夫になり、相対的に精神が弱くなったことに起因すると考えています。そのため心療内科的な病状が多くなっていると推測することができます。
2.私の診療で「症状に固執しないこと」と話すことの意味
身体は身体だけでなりたっていると考えるならば、「症状に固執しないこと」などは話しません。この様に症状に固執する人の特徴は「身体が生まれて精神が身体から生まれる」と勘違いしていることが主たる原因なのです。
潜在意識が生きる方向を決めています。それは陰の自分なのですが…生まれる前に「この様な人生にしようと生まれてきた」ということは殆ど忘れています。人間は生まれるときに…「次の生でどの様なことをするべきか?」ということを選んで両親を決めて生を受けます。
私の場合ですと…記憶にはないのですが。「病気という現象を自ずとから知り…漢方医学を通して今の医学をより良い医学すること」が目的の様な気がします。病気への苦しみは病気への必要性を自分で認めれば収まるもので、自分とは関係がない悪が作り出してきたという考えだと症状は続きます。
この様なことを基盤に考えている私は、そして「患者さんが自分を頼ってくれている」ということから話すべきことは話します。「症状が出ることを生前に許容している自分を忘れ、身体に症状が出ていることを許せない」と考えていらっしゃる姿と感じるときには…ストレートに話すことにしています。本人が気づかなければ私への悪意のみ残るだけですが、私は善意でしていることなので悪意を持たれようが正しいことをしたいと考えれば「楽しんで人生を渡り症状に固執しないで楽しんで欲しい」と望むことは…人間としては正しいことだと考えています。
3.治療の意味
一般医療にしろ漢方医療にしろ、対症療法でしかないのが真実になります。
一般医療は臓器関連性を顧みない対症療法が根本、漢方医療は臓器関連を重視している。しかしながら…本人が自覚し自分と見つめ合い、病気の根底に目を向けることが根本的な医療に繋がる。自分は潜在意識までを説明する器の大きさはないと感じていますが、表在意識と潜在意識のアンバランスが病気を引き起こすことは間違えのない事実です。
自分の出来ることは…曖昧な表在意識の感情に私自身の表現をするだけなのかも知れません。
このため表在意識への指針は色々と患者さんには不満なことでも出来るだけ話します。もし潜在意識に働きかける治療が出来たならば、1回の診療での料金は保健医療ではまかなえない金額になると思います。ご自分がご自分の命の根本である潜在意識に気づかないで症状に振り回されている訳ですから、非常に高額な医療費になるのは当然のことだと感じています。
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PS:自分は他人のことを思いやる社会になって欲しいと願っています。
今は自分の責任を他人の責任に転嫁するのが常識になっています。
でも…医療をするときに身体の気持ちに思いを馳せなくては治療は成り立ちません。
自分のエゴで通用する時代は…数年で終わると感じています。
今は自分の責任を他人の責任に転嫁するのが常識になっています。
でも…医療をするときに身体の気持ちに思いを馳せなくては治療は成り立ちません。
自分のエゴで通用する時代は…数年で終わると感じています。
このシルクロードを聞いて感じるのは…
険しい道を歩きながら患者さんの元に赴く医師の姿です。
薬草を背負いながら患者さんに向かう姿を感じると、頭が下がります。
険しい道を歩きながら患者さんの元に赴く医師の姿です。
薬草を背負いながら患者さんに向かう姿を感じると、頭が下がります。
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