行と覚醒体験と脳梗塞

健康法
とあるサイトでこんな記事。

密教の行は肉体を生理的に極限の状態に追い込むことで、五感が活性化されることが一般的に知られている。

 密教行者は瑜伽行者とも称される。瑜伽とはインドが源流のヨガに通じ、苦行や瞑想を繰り返すことで、肉体の中に閉じ込められている生命のエネルギーを目覚めさせ、眠っていた力を解放させる行為である。

 私は以前、不眠不休で護摩行をしていた時、火が自分か、自分が火か、分からなくなったことがある。

 その後、深い瑜伽状態に陥り、心が溶け落ちると、私の意識は強烈な光の中に途轍もない速度で吸い込まれる感覚に見舞われた。よもや「息絶えたか」と思いながらも、私は、その成り行きに身を委ねた。

 私は肉体を纏った人ではなく光の玉となり、桃色の星雲に組み込まれていた。


へぇ。。

密教の行は肉体を生理的に極限の状態に追い込むことで、五感が活性化されることが一般的に知られている。
密教の行は肉体を生理的に極限に追い込むことで、脳の毛細血管が詰まりラクナ梗塞を引き起こすことが情強に知られている。

密教行者は瑜伽行者とも称される。瑜伽とはインドが源流のヨガに通じ、苦行や瞑想を繰り返すことで、肉体の中に閉じ込められている生命のエネルギーを目覚めさせ、眠っていた力を解放させる行為である。

そもそも釈迦は苦行を否定している。

私は以前、不眠不休で護摩行をしていた時、火が自分か、自分が火か、分からなくなったことがある。

微細な脳梗塞をあちこちに起こして幻覚を見ている状態です。

その後、深い瑜伽状態に陥り、心が溶け落ちると、私の意識は強烈な光の中に途轍もない速度で吸い込まれる感覚に見舞われた。よもや「息絶えたか」と思いながらも、私は、その成り行きに身を委ねた。

微細な脳梗塞をあちこちに起こして幻覚を見ている状態です。


私は肉体を纏った人ではなく光の玉となり、桃色の星雲に組み込まれていた。

微細な脳梗塞をあちこちに起こして幻覚を見ている状態です。

まぁ、別にその脳梗塞による幻覚の「サトリ」とやらは、、

なんの役に立つんですかね???と疑問。


その護摩行の荒行をしたはずの清原氏は、、薬物に溺れて沈んでしまった。

護摩の荒行で脳が損傷したから、、でしょうね。


ワタシはそういう宗教的な修行否定派です。

※このオッサン(池口)の記事、、結局何の結論にも達していないムダ記事です。


釈迦のミチを行きたいなら、全財産を喜捨してホームレスになることです。
叡山の千日回峰行とかも、、釈迦から遠く離れた自己満足でしょうね。
その比叡山の仏門を捨てて出てこそ、、釈迦行です。
立派な寺・立派な袈裟(法衣)、間違っていると感じないのがギャグです。


取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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