あのとき、なにも言えなかった私が乳がんになった...。

今でも「悪いことをした」と、
後悔している

「なぜ、もう少し、
 気の利いたことができなかったのか...」――

それは、私がまだ乳がん告知を受ける少し前

長年就いていた外食産業から離れ、
アパレルへ勤務をはじめて数年が経った頃だった

ランチと夕飯時の“修羅場”に嫌気が差し、
食品の管理や衛生管理に疲れ...

お客さんが少ない時間帯も、
卓の清掃やカスターの整理

休憩時間もままならない

休みは週に一度

連休は皆無

盆も正月もなく、
それどころか連休があればあるほど
働く日が増える

その割りに、外食産業は給料が安い

もちろんボーナスなんてない

大手でなければ
福利厚生も整っていない

そんなこんなで
旅行にも行ったことがなく、
家と仕事場の往復だけ

「私は仕事をするために生きているのか...」

そんな思いに苛まれていた

アパレル関係に転職したとき、
仕事の楽さに驚いた
 (もちろん、
  “売らなければならない”という大変さはある)

が、給料も高ければ、週に2回の公休

有給までついてくる

もちろん福利厚生は万全だ

定時に出社でき、残業もほぼ無し

外食産業とはなにもかもが
かけ離れていた

あるとき、60代くらいの女性と、
40代くらいの女性が来店した

どうやら母娘らしい

洋服を探していたのはお母さま

娘さんはその付き添いのようだ
 (そのとき私は、
  50代以降の女性の洋服を販売していた)

お母さまは一枚の洋服を手にする

気に入ったようだ

が、そのとき、娘さんが口を開く

「お母さん胸ないから、それダメだって」――

近くにいた私は、
お母さまに話しかけた

すると娘さんは、私にこう言った

「母、乳がんでおっぱい無いんですよね」

私はなにも言えなかった

“乳がん”という病の知識がなかったことで、
なんにも応えられなかった

謝ることさえできなかったのだ

私の乳がんがわかる1年ほど前のことだった

あれから随分、月日が経った

が、あのときのことは今でも思い出す

あれからすぐに私が乳がんだとわかり、
あのときすでに私の左の乳房には
4年育てたがんがあった

なんとも複雑な思いである――

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Source: りかこの乳がん体験記

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