うーん。
生きるということに、あまり魅力を感じることができません。
今が辛くてしんどいとか、死にたいわけではないです。そこそこ楽しく過ごしているし、自殺しようなんて思うわけではないですが、べつに死にたくないとも思わないんです。
長生きしたいとも思えず、仮に明日死ぬと言われても、なんにも思いません。
今に始まった話ではなく、気がついた頃にはもう何年もこの思考です。なので、周りの長生きしたい、と言う言葉にも1種の違和感のようなものを感じます。
これはおかしいのでしょうか?
精神科など受診してみる方がいいんでしょうか、?
>生きるということに、あまり魅力を感じることができません。
まぁ、確かにワタシもそうですよ。
何故に生きているんだろうという感覚は幼少期から変わらないかと、、
周りの人間が自分とは違う「人間」という種のイキモノに見えていたのは幼少期からで、、
それはズーっと来ている感覚です。
身体軸ラボというフレームの中で、、
健康についていろいろ書いていますが、、
自分が健康の方が体が楽で動けるからであって、、
長生きしたいという欲求から来ている訳ではない。
いい風景を見ても、何秒か見たらそれでお終い。
別に絶景だからどうだとかは無い。
美味しいものもそれなりに美味しいが、だから何だという事もない。
ただ、、
こういう感覚の方、意外と多いのかもしれません。
そう思います。
ですから、いちいち気に病む必要は無いですよ、と言いたいだけです。
そこに拘れば、そこに囚われた世界に生きてしまう。
過ぎたことは過ぎたこと、来ることは来ること、ともかく坦々と歩いていきましょう。
歩いた先に見えるものがあるかもしれないし、、
無いかもしれません。
思へばこの世は常の住み家にあらず
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし
金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる
南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり
人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ
Source: 身体軸ラボ シーズン2
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