ナニモノ?

知らんがな、、、

そもそも身体軸は「何者にもならない」(笑)

何者になったところで、、、

※つーか「何者」の定義を知りたい。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。

沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。

奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし

猛き者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵におなじ

思へばこの世は常の住み家にあらず


草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし

金谷に花を詠じ、榮花は先立つて無常の風に誘はるる

南楼の月を弄ぶ輩も 月に先立つて有為の雲にかくれり


人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり


一度生を享け、滅せぬもののあるべきか
これで良いんじゃないですかね?
たとえ自分が過去世で何者かであったかとしても、、

昔その邸宅なり城があったところには今は別の建物が建ち、、

その墓が何処にあるかもあやしい。

あったとしても子孫は何処にもある。

それにその墓に何の意味があるのか?ということです。

いちいち子孫がお参りに来なきゃならんのも子孫への負担な訳で、、

子孫に「先祖に感謝しろやゴラァ」と言いたいのか?と問い詰めたい。

※ソレを強要する「三本線香感謝供養教祖」がいますね。

そもそも子孫から供養や感謝を受けなきゃどないもならんような落第先祖など、、

少しは恥じろという事です。

※地縛霊だし執着霊だし未練タラタラの浮遊霊と自覚しろと、、
※人生を生き切らない事で浮遊霊と成り果てる。
今の人生を活きて生きて、、

死したら朽ち果てて灰となり塵となり消えていく。

それで良いんじゃないですかね?

子孫は子孫の人生を活きれば良いのですから、、、
ワタシは「存在した証」は不要です。

取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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