ユキナの物語・2

メンタルヘルス

 

 

 

〜ユキナの物語〜

 

 

 

倒れていたのは彼だった。

 

彼の手には、スーパーの袋。

そこからこぼれ落ちた、

半額シールのお刺身。

 

大根のつまも、お刺身も、

パックから飛び出して砂利が付いていた。

 

私には、分かった。

 

 

発作が起こったんだ。

 

 

彼は、心臓の持病を患っていたのだ。

 

 

私は、彼に近付き

必死で名前を呼んだ。何度も、何度も、何度も。

 

そのうち

救急隊が駆けつけて敏速に処置を始めた。

 

 

私は名前を呼び続け

彼のそばを離れなかった。

 

 

でも、救急隊の人は

「ここから離れて!」と、私を遠ざけた。

 

 

それでも叫び続けて

何度も近付こうとしたけど

駄目だった。

みんなは私を遠ざけた。

 

 

「危ないから!近付かないで!」

 

 

そうして

救急車に運ばれていった彼。

 

 

遠ざかるサイレン

追いかけたけど

あっという間に引きはがされた。

 

人だかりは

だんだんと減っていき。

何事もなかったかのように

いつも通りの風景に戻った。

 

 

 

それから。

 

 

彼が、部屋に帰って来ることは

もうなかった。

 

 

私は彼のベッドで眠り続けた。

彼の匂いに包まれて。

 

 

 

この冬

まだどこにも出かけていない。

 

 

その事を

彼は本当に申し訳なさそうに

していたけど。

 

 

私は一緒にいられるだけで

十分だった

 

 

 

 

 

「寒いから、貸してあげるね。」

 

 

ちょっとでも外に出るときには

自分のマフラーを私に巻いてくれた。

青と白のしましま。

 

 

缶コーヒーを買いに行くとき。

コーンポタージュを買いに行くとき。

 

 

私はどこへでも、

付いて行きたがったから。

 

 

柔らかくって、

とってもあったかくって、

彼の匂いのする、しましまのマフラー。

 

 

「ユキナはさみしがり屋だなぁ。

すぐそこの自販機に行くだけだよ。」

 

 

笑いながら、巻いてくれた。

 

 

 

マフラーは壁にかけてあった。

私はそれを

ベッドに引っ張りこんで。

丸くなって、さらに眠り続ける。

 

 

彼はもう、帰って来ない。

 

ある朝、大家さんが来た。

 

 

ガチャリ、

急にドアが開いて私はびっくりする。

 

 

飛び起きた私は

急いでクローゼットの陰に隠れた。

 

 

大家さんは

喋りながら部屋の中に入ってきた。

 

 

「…心臓の持病があったなんてね。

あの子、とっても良い子だったんだけどね。

素直で、優しくてね。

 

 

でも、この部屋も

業者さんに片付けをお願いして。

次の入居者を募集しなしとね。」

 

 

私は息をひそめ、

影から大家さんを見つめる。

 

 

でも

すぐに見つかってしまった。

 

 

「ユキナちゃん?そこにいるんでしょう?」

 

 

「…はい。います。」

 

 

「出ておいで、食べ物、持ってきたから。」

 

 

「…そんな。申し訳ないです。」

 

 

「遠慮しなしのよ。

お腹すいてるでしょ?

何も食べてないんじゃないの?」

 

 

私はそろそろと姿を現し

大家さんの前に顔を出した。

 

 

「…ありがとうございます。」

 

 

「遠慮しないで

たんとお食べなさいね。」

 

 

差し出されたのは

マグロの缶詰と、有明海苔だった。

 

 

陶器の器に

美味しそうに盛り付けてくれた。

お水も用意してくれていた。

 

 

私は、夢中で食べた。

喉が熱くなって、

つかえてしまいそうだった。

 

 

「よしよし、ユキナちゃん。」

 

 

大家さんは、

私をたくさん撫でてくれる。

あったかいふっくらした手で。

 

 

「よしよし、さみしかったわね。

悲しかったわね、ユキナちゃん。」

 

 

私は

もう言葉が出てこなかった。

 

 

私の小さな身体は

何かでいっぱいになって。

張り裂けてしまうんじゃないかと思った。

 

 

頂いたご飯は全部きれいに食べた。

お水もたくさん飲んだ。

 

 

ちょっとだけ

お腹から力が湧いてきた気がした。

 

「ユキナちゃん、

うちで一緒に暮らす?

新しい飼い主がみつかるまで。」

 

 

あったかい手は

ずっと私を撫でてくれていた。

 

 

「ユキナちゃんべっぴんさんだから。

真っ白で、おとなしくて、控えめで。」

 

 

「…」

 

 

「知り合いに心当たりがあるのよ。

きっとユキナちゃんを気に入ってくれると思うの。

その人に連絡してみるから。

それまで家においでなさいよ?」

 

 

ずっと撫で続けてくれる大家さん。

人の手がこんなに温かいことを、

しばらくの間忘れていた気がする。

 

 

彼は、もういない。

 

 

私は、部屋の中を見渡した。

殺風景な1K。

 

 

小さなテーブルと、中古のテレビ、

冷蔵庫。薄いカーペット。

丈の足りないカーテン。

 

 

ベッドだけは

ふかふかにしてくれた。

 

 

生活感が薄いこの部屋も。

二人でいれば、

安心できる場所だった。

 

 

それはそれはどこよりも

なによりも、落ち着く場所だった。

 

1年前。

 

 

しんしんと雪の降る朝に

捨てられていた私。

 

 

彼はそんな私を見つけ、拾ってくれた。

 

 

その頃の私は

彼の手のひらの中に納まるくらいに小さくて。

 

 

凍えながら

誰かが来てくれるのをずっと待っていた。

 

 

彼は、もういない。

 

彼は私に

ユキナという名前をくれた。

そして、たくさんの愛情をそそいでくれた。

 

 

大家さんも、とても親切だ。

このアパートだって、

本当はペット禁止のはすなんだ。

 

 

良い子にするよ、優しくなるよ。

 

 

そう思って、

ここまで大きくなった。大きくしてもらった。

 

私は

大家さんにすりすりした。

 

 

感謝の気持ちを込めて。

たくさんすりすりした。

 

 

「ありがとう。」

私は、精一杯そう伝えた。

 

 

 

 

 

彼はもう。

いなくなってしまったのだ。

 

 

彼がくれた、たくさんの愛情を。

今度は私が返したい。

 

 

今度は、自分から

愛すべき人を見つけに行こうと思う。

 

 

だから、大家さん。

どうか心配しないで。

私はきっと大丈夫。

もうこんなに大きくなったから。

 

 

ちゃんと自分で

生きて行こうと思うの。

 

 

 

 

 

私は、もう一度だけ

彼のベッドに飛び乗った。

 

 

ふかふかの毛布の匂いも、

マフラーの匂いも、

めいいっぱい吸い込んで。

 

 

そう。

 

しましまのあったかいマフラー。

 

 

フードの中の、小さなもみじ。

 

 

色とりどりのスーパーボール。

 

 

川に流れゆく桜の花びら。

 

 

持って行けたらいいんだけど。

あれこれ抱えたら、動けないから。

想い出は、記憶の中に焼き付けるね。

 

ありがとう、大好きだったよ。

 

私は、大家さんに

 

 

「ありがとう。さようなら。」

 

 

と言って、

ベランダの隙間から外に出た。

今日から新たな自分の住み家を探すの。

 

 

「ユキナちゃん。

恋しくなったら、いつでも帰っておいでね。」

 

 

私は、大家さんを見つめた

目を細めて。親愛の面持ちで。

 

 

もう一度

「本当に、ありがとう。」

そう伝えた。

 

大家さんは、寂しそうに、

残念そうにしていた。

 

 

「…あぁ、もう。

猫の言葉が分かればいいのにねぇ。

“みきゃん”って鳴き声しか聞き取れないから。

外でやって行けるのかしら…心配よ。」

 

大家さん

心配してくれて、ありがとう。

私は自分の居場所を

ちゃんと見つけてみせるよ。

 

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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Source: HSP片付けブロガーの「生きづらさ」が消える片付け

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