8月もいよいよ終わりですが,相変わらず厳しい酷暑の日々が続いています.
早いもので,今年は父が亡くなって2年目,この6月には父の故郷の姫路で3周忌の法要を行いました.
さて,昨今の科学技術の進歩は驚異的で,原子や量子の世界から大宇宙のレベルまで,知に対する人類の欲求はとどまるところを知らず,多くの謎が解き明かされてきました.
しかしこれほどまでに科学が進歩しても全く解明されていないことがあります.それは死後の世界についてです.
人間は死後どうなってしまうのか?
霊魂や輪廻転生というものはあるのか?
私は最近このことをものすごく考えるようになりました.
それは,父親という身近な人間の死や,職業がら日常的に人の死というものに接しているということもありますが,自分自身も立派な前期高齢者となり,人生の終焉に少しずつ近づいているということを否が応でも意識するようになったからです.
死というものは,少なくとも今の医学では誰も避けられず,遅かれ少なかれ万人に必ず訪れるということを頭では理解はしていても,正直,自分にはまだ覚悟ができていませんし,これは他の多くの人たちもそうだと思います.
高齢の患者さんたちは口を揃えて「いつ死んでもいい」などと述べられますが,私の長い臨床経験からいえば,心底そう思っている人は少ないでしょう.
太平洋戦争末期の神風特攻隊の若い人たちの,確実に死ぬとわかっていても敵艦に突っ込んでいった心境はどうだったでしょうか?あの時代,本心を吐露することなど許されなかったとはいえ,どれほど崇高な使命感や国家への忠誠心を持っていたとしても,ほとんどの若者たちにとって死ぬことが恐怖でなかったはずがありません.
人間にとって,死への恐怖や不安は,それほど根源的なものなのだと思います.
世界中に存在する数多くの宗教も,突き詰めて考えれば,人間を死の恐怖や不安から救うために生まれてきた側面があるのかもしれません.もちろん,宗教にはそれだけでは語り尽くせない深い意味があります.しかしどんなに厳しい修行を積んだ高僧や聖職者も,誰一人として死後の世界を見てきた人はいないわけです.
もしも死後どうなるのかということが解明されてしまえば,極端に言えば宗教の存在価値そのものさえ揺らいでしまうかもしれません.
よく話題になるのは,意識とは何か?死後その意識はどうなるのか?ということです.
意識は単純に脳の神経活動が生み出したものである,なので死後は完全に眠ってそこから全く覚醒しないのと同じ状態になる,という考え方は,証明はできないものの科学的,論理的にみえます.
しかし,私たちは毎日,翌日ほぼ確実に覚醒する,意識が戻るということがわかっているから眠りにつくことが出来るのであって,それが戻らないことが「死」であると言われても,本心から納得できるでしようか?
つまり全くこの世から「自分」というものが消えてしまうことか想像しにくいのです.
輪廻転生にも通じると思いますが,自分が死んだあと,再び誰か他の人の「意識」あるいは「自分」として(という言い方もおかしいのですが)蘇るのではないか?など,考えれば考えるほど思考の迷路にはまってしまって答えは出ず,まさに哲学そのものなのですが,そんな漠然とした考えを持っている人は私以外にもたくさんいるのではないでしょうか.
先日興味深く読んだ田坂広志氏の「死は存在しない」という本では,死後の世界に対する斬新な仮説が論じられています.
量子力学の観点から提唱された「ゼロ・ポイント・フィールド」という概念で,宇宙のあらゆる出来事の情報が,宇宙に普遍的に存在する「場」に記録されていて,私たちの意識もそこにつながっている,肉体は死んでもそこに意識が残る,という考え方です.
幼い子どもが,実際には行ったことのない場所や会ったことのない人物について,まるで自分が体験したかのように具体的に語り,後に調べてみると,その内容が実在の人物や出来事と一致していた,という「前世記憶」と呼ばれる現象が多数報告されていますが,これも田坂氏は「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」によって説明できる可能性があると考えています.
果たして,いつの日か科学がさらに進歩すれば,死後の世界や「意識」というものの正体まで解明されるのでしょうか?しかしそもそも「死後の世界が存在するのか」という問いが,科学によって検証可能な問題なのかどうかさえ,誰にも分かりません.
しかし現世に生きる私たちにできることは,結局,毎日悔いなく,1日1日を精一杯大切に生きるということに尽きると思います.
そしていつになるかはわかりませんが,いよいよ最期の時,たとえ波瀾万丈の人生であったとしても振り返って,「ああ,本当にいい人生だった,よく頑張った.」と思えるのであれば,それで十分なのかも知れません.
そしてその先に,もし「あの世」があるのなら,或いはもし生まれ変わることができるのなら‥‥「また楽しい人生であればいいなあ」「今度も,かみさん,娘たち,その他この人生で出会った大切な人たちとまた出会えますように」などと静かに思いながら眠りにつければ,なかなか悪くない人生の終わり方なのではないでしょうか?
Source: Dr.OHKADO’s Blog

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