欲の使い方:離欲と大欲

その他

以前
離欲について書きました。

離欲は
やろうとしてできるものではなく
自然と離れていくのが正しい離欲。

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神を求める心が高まり、
心が整っていくと
離欲が始まります。

それは
植物が実を結ぶ前に、
開花した花の花弁が一枚ずつそっと離れていくように、
世俗的・感覚的快楽への欲求が
自然に消えていきます。

物質的な欲は、
禁欲のように力で抑えつけるものではなく、
自然に離れていくのが理想です。

例えば、
性欲や物欲を無理に抑えつけたとすると、
心の中では歪として残り、
その歪が足枷となり
逆にその欲から完全に解放されることは難しくなります。

欲は
決して悪いものではなく
必要なもの。

物質的な欲は
精神的な欲を使いこなすための
疑似体験になっています。

性行為で到達できる束の間の絶頂状態は、
瞑想で得られる究極の絶頂状態の疑似体験でもあります。

大きな違いは、
肉体的な欲求を主体とした性行為が
エネルギーの流れを下に向けて浪費するのに比べて、
精神的な欲求を主体とした瞑想では
エネルギーの流れを上に向けて循環させていることです。

瞑想によって
性行為での絶頂よりもはるかに強力な絶頂経験をすることが可能です。
瞑想が深まり、
エネルギーの流れが上方へ昇華したら、
肉欲を伴う性欲が消えていき、
性行為が自然に必要なくなるのはそのためです。

人は、
新しい次元のものを手に入れると、
次元の低いものを手放しやすくなります。

例えば、
プラスチックでできた玩具のダイヤのネックレスは
本物のダイヤのネックレスが手に入ったら
もう必要なくなります。

新しい高級車を買ったら、
玩具の車は必要なくなります。

ここで間違ってはいけないポイントとしては
外面的・物質的な所有の放棄という物質的なレベルから始める離欲は
離欲にはならないことです。

人も宇宙も
便宜上、
三段階に分けることが出来て、
各段階を上がるごとにより神の意識に近づき、
下の段階の時に囚われていた欲は自然と離れていきます。

もし欲を抑えつけたままの状態で上の段階に上がろうとしても、
心が囚われて上がることは困難です。

段階を上がるごとに
欲が消えていくのは、
創造性が大きく拡がると共に
所有の概念が大きく変容していくからです。

創造性が拡がると
常にあらゆるものが新鮮になります。

所有の概念が
個人から全体へと変容すると
すでに
すべては在るということになります。

だから
物質的な欲が
必要なくなるのです。

でも
離欲だけが
欲望の理想的な対処法ではありません。

物質的な離欲が無くなっても
欲の本質は残ります。

欲の本質を知れば
欲がとても素晴らしく、
利用価値のあることが理解できます。

それが
大欲です。

欲望を
自分の限界を超えて
大きく大きく膨らませてしまえばいいのです。

大欲は
実は
はじめからあるものですが、
小さな欲望、我欲が強いうちは
隠れてわからないものです。

鼻先に
うんこがついていれば
いくら香り高い花の匂いを嗅いでも
匂いはわからないようなもの。

普通の小さな欲望は
自分が喜ぶことを第一目標にします。

普通の欲望は
財産、地位、権力、人間関係、安全性、個人の幸せなど
自分と自分の周囲に向けられます。

「自分が、豊かで幸せになりたい。」
「私の愛犬を、元気に幸せにしてやりたい。」
「私の周りを明るく楽しくしたい。」

そうした小さな欲を取り払って
限りなく大きな欲をあらわにしてしまえばいいのです。

「地球上のすべての人を、豊かで幸せにしたい。」
「地球上のすべての生き物を、元気に幸せにしてやりたい。」
「宇宙全体を明るく楽しくしたい。」

人の持つ欲望の性質をそのまま利用して
限りなく大きくしてしまうイメージで良いでしょう。

人が現在持つ
欲望も怒りも、その他の悪と呼ばれる性質も
本質を見抜けば
より良く変容できるものばかり。

無欲になるのも良し
大欲になるのも良し

使い分けするのも良しです。

こちらは
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神理の扉聖なる変容と霊性進化の道
光田 秀
きれい・ねっと
2020-04-08


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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