せっかく助けてもらった命。なのに...。

「死にたい」

一度でもそう思ったことがある人は、
この世の中にどれくらいいるのだろう――

私が初めてそんな感情を抱いたのは、
おそらく、中学3年生のとき

ただなんとな~く、友達と、

「死にたいね」

と、話をしていた

家では父に暴言を吐かれ、母に手を上げられ、
学校ではいじめを受け...

が、そんなことでは、「死にたい」と
思ったことはなかった

ただ、“なんとなく”なのだ

それは思春期にある、特別な感覚なのだろうか

大人になっても、その“癖”は抜けなかった

本気で死ぬ気はない

「痛いのはイヤだ」
「つらいのもイヤ」

命を絶つ方法を模索してみるが、
“本気で死ぬ勇気”なんて、毛頭ない

そんな私が、乳がんになって、

「あと2年、生きられないかもしれない」

と、知ったとき、初めて「死にたくない」

そう強く感じた

...が、治療のつらい副作用に、
何度も自分を見失いかけた

そのたび、欠損をした乳房を見ながら、

「このおっぱいに、
 どれだけの人が関わってくれたのか...」

と、考えた

「全摘」と言われていたおっぱい

手術前夜になって、
「温存できるかも」という主治医の言葉に、

私は初めて、
「温存したい」と、自分の気持ちを伝えた

“温存”となればかなり難しい手術になる

手術から数日後、外科部長から、

「りかこさんの先生、
 どうやって温存するか一晩考えてたよ」

そう教えてもらった

そんなおっぱい

せっかく助けてもらった命

「どんなことをしてでも生きていかなきゃ」

と、つらい副作用にも耐えてきた

が、それでも、“あの癖”は、時折襲ってくる

がんがわかって、
あれほど「死にたくない」って思ったはずなのに、

「生きなきゃ」

そう誓ったはずなのに、
奴は心の隙間に入り込んでくるのだ

つらいよね、生きていくのは...

ただでさえ、簡単なことじゃない

なのに、がんになれば、もっと道が狭くなる

  なぜ、彼は、死を選んだのか――

  きのうの夕方帰宅し、テレビを点けた

  そのときに流れてきたニュースに
  私は驚愕し、絶句した

  「なんで?」

  何度も何度も心の中で叫んだ

  私は過去に、
  “三浦”という名字だったことがある

    まぁ、遠い過去の汚点である

  その別れた夫には息子がいたが、

    これまた、複雑な話なのだ

  今回、命を絶った彼と名前が似ていたことで、
  違う意味で気になっている俳優だった

  結局、痛みやつらさは本人にしかわからない

  なにがあったのか

  なにが彼をそうさせたのか...

  それはきっと誰にもわからない

  私のいとこも、2人、自ら命を絶った

  周囲にも、そんな人がいる

  母は、

  「なにも、死ななくたって...」

  そう言っていたが、
  それは本人にしかわからない

  「私は一度も
   “死にたい”なんて思ったことなんてない」

  そう言っていた母には、きっと理解はできない

  そんな母も、がんになって、

  「初めて“死にたい”と思ったわ」

  と、言っていた

  それほど“がん”は身体だけではなく、
  心までも蝕むのだ

  その母が遠隔転移をし、施す治療がなく、
  命の期限が迫ることになる

  そのとき口にした、

  「命があれば、なんとかなるから」

  その言葉の重さを、今でも考えさせられる

そこに、どんな理由があったのか...

が、やっぱり死を選ぶのはつらい

生きたくても生きられない人がいて、
自らその命に終止符を打つ人がいて――

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Source: りかこの乳がん体験記

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