境内社の「稲荷社」は、神峰(かみね)神社の創建(1428年)より以前にすでに“稲荷の森”と呼ばれる当地に鎮座していたそうです。
御祭神は「保食神(うけもちのかみ)」で、地元の神様として、今なお大切にお祀りされております。
保食神と言えば、“穀物の神”です。わたくしたちにとって、毎日欠かせない“食”を司る神ですので、遠く御先祖より続く命もまた、こうした神に長らく支えられているのですね。
食は、栄養もしかり、食べる行為自体もまた本当に大切な要素です。それらがまぎれもなく、人間の“生命線”になっていると考えれば、わたくしたちは、やはり食の大切さをもっと身近なものとして捉(とら)えていかねばなりません。
皆様の益々のご健康を願いつつ、神の御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「人間には、誰しもが外せぬ(=欠かせぬ)“肝心要(かんじんかなめ)”があり、生活における“これだけは”という、絶えず保つべき、あるいは大切に据(す)えていくべき事柄があります。
それがすなわち、人生の“良し悪し”(※ここでは、生活の質、という意味です。)を左右し、人は、人間(という生身の存在)であるがゆえの、人生においてけして蔑(ないがし)ろにしてはならぬ物事(要素)が配されているのです。
“これを欠いては成り立たぬ”という事柄は、あなたがたにとって、果たしてどのようなものが思い浮かぶでしょうか。
無論、歳の経過(=人生の経験)の程度で、各人が思い描く“欠かせぬ(事柄)”は変わることでしょう。
ですが、ここでは真実(=本当に)根本的な意味における、人間という生命の基盤、尊き生命の御柱(=礎)となる事柄を思い描いていただければと思います。
物事には道理ありて、そして無論、人間がこの世(地球)の、生命あるものの一つとして存在する、という事実からしても、この生きる過程には順序(=道理)があると心得るのが自然(=順当)なことでしょう。
はたして、あなたの“肝心要”とはーーー
これを世の事象を経るなかで、折に触れ考え、導き出したもの(=結論)こそを、あたかも“扇の要”のごとく、支点とする気構えをもたれるとよろしいでしょう。
そして、その(扇の)要を拠りどころとして、そこから扇の大らかに(=大きく)広がりゆく、人生をあらゆる物事へ向け、心身豊かに解き放つのです(※ここでは、萎縮せず試行・挑戦する、という気持ちを表しています)。
人の一生は一度限りです。
ですから、人間の生命としての欠かせぬことは懇ろ(=大切に)据えることが何より肝要です。
そのうえで、益々、自らが生きるなかで有り難き縁(えにし=えん)を引き合い、歳ゆくほどにこの縁を広げ、かけがえのない日々を送ることができるなら、あなたがたの人生は、なんと“あっぱれ”(=見事・素晴らしい)ことでしょうか。
ここに、人間の素晴らしさがもっとも凝縮されているーーー
“縁”という目には見えずとも絶妙に、そして美しく配された豊かな繋がりを、われら(神々)はなお一層愛(め)でるのです。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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