家族であるが故の辛辣さ。

乳がんがわかって、
これまでにないほど家族は心配してくれた

「娘が死ぬかもしれない」と、
泣いてくれた母

会話がほとんどなかった父も、翌朝、
「お前もごはん食べるか?」と聞いてきた

朝食はいつも両親とは別だったにもかかわらず、
そんな言葉ををかけてきたのだ

が、その心配も、ほんのいっときである

手術を終え、家に戻り3か月も経てば
もう、“普通の人”として扱われる

重い物を持つのを手伝ってくれたのも、
最初だけ

治療で体調が悪いことも、
きっと気にかけてくれてはいない

唯一、左腕に血圧計をつけられないことと、
注射をしてはいけないことは気にしていたようだ

私に乳がんがわかったとき、
これまで“家族”として機能していなかった親子が、
初めて“家族”になれた気がした

「これで、本当の家族になれるかも」

そう思った

が、甘かった

『喉元過ぎれば、熱さ忘れる』

...とは、よく言ったものだと思う

“家族”は、お互いが近すぎる分、
血がつながっている分、

時として残酷であり、辛辣だ

他人には決して言えないことも平気で口にする

“だから家族”なのかもしれない

が、

“だから理解してほしい”
“だから優しくしてほしい”

そんな気持ちにもなるものだ

  そう思うのは、
  わがままなことなのだろうか...

『近くの家族より、他人のがん患者』

がん患者の気持ちをわかってくれるのは、
やっぱりがんを経験した人――

それが実感である

  ちなみに...

  私の場合、母親もがんであったが、
  ぶつかり合うことが多かった

  「同じ“がん”になった者同士。
   なのに、なぜ理解しあえないのか...」

  私は自分のことは二の次で、
  母に寄り添ってきたつもりだ

  が、それが母には伝わらない

  私のがんがわかったとき、
  抱き合って泣いてくれた、
  あのときの母の気持ちは
  どこへ消えたのか...

“家族だから許せること”

“家族だから許せないこと”――

他人なら、
“関わらない”という選択肢もあるのだが...

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Source: りかこの乳がん体験記

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