やりがいのある仕事の罠「リッツ・カールトン 最高の組織をゼロからつくる方法」

その他ドクター

 

地方の総合病院の経営は苦しい。

そのため会議は、いかにして病院の売上を上げるかの議題でもちきりである。

救急車を積極的に受け入れよう。病床稼働率を上げよう。などなど。

 

しかし大学からの派遣医師である我々は数年で異動するため、病院の売上を上げるインセンティブは発生しにくい。

 

なぜ売上を上げる必要があるのか。

そのビジョンが語られないため、売上に貢献したいという気持ちにはなりにくいのである。

 

病院の将来性を見極めるポイントは、経営者が病院のビジョン、未来構想を発信する努力を行っているかなのだという。

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目先の収益をいかにあげるかという話のみならず、病院のグランドデザインが示される。

それによって職員のモチベーションは上がり、やりがいをもって働くことができるのである。

このように経営者にとってビジョンは非常に重要なのだ。

 

しかし労働者にとって、経営者のビジョンにコミットすることには「やりがい搾取」のリスクを伴う。

今回はやりがいについて書いてみる。

 

リッツ・カールトンのマネジメント

 

高いホスピタリティで有名な高級ホテルのリッツ・カールトン。

その創始者もビジョンの重要性を語っている。

社員を歯車のように扱ってはならない。

人間としての彼らを理解し、それぞれの意欲をかき立てるような仕事につかせる必要がある。

 

ビジョンはやりがいにつながり、職員はやりがいを感じながら生き生きと働ける。

そんなリッツ・カールトンは、職員にとっても理想の職場なのだという。

これはとても素晴らしい理念のように聞こえる。

 

でもそんなキレイゴトに違和感を抱く部分もある。

これって「やりがい搾取じゃないの?」と。

 

なぜ従業員のやりがいが重要なのか。

その理由は「従業員に進んで働いてもらい、会社の利益に貢献させるため」と書かれている。

人間としての彼らを理解し、それぞれの意欲をかき立てるような仕事につかせる必要がある。

それができれば彼らは素晴らしい働きをして、自分自身にも会社に大きな利益をもたらす存在になるはずだ。

 

そしてビジョンは社会全体にとって価値あるものである必要がある。

目標が「会社の利益」では誰もついてこない。「社会貢献」などのキレイゴトで包んで、職員が目的意識を持てるようにする必要があるからだ。

これは戦争においても行われる手段である。

 

ビジョンという大義名分

 

国家が戦争を仕掛ける場合、必ず「大義名分」を掲げる必要がある。

兵士の士気を高めるために「自分が崇高な目的のために戦っている」と思わせなければならないからだ。

 

ただし大義名分は建前で、本音はまったく別のところにある場合がほとんどである。

古くは十字軍。

「イスラム教徒から聖地エルサレムを奪還する」という宗教的目的を掲げたが、本来の目的は教皇が自らの権力を知らしめることであった。

 

また最近ではイラク戦争のアメリカは「イラクが大量破壊兵器を保持している」という大義名分を掲げた。

しかしその本音はイラク石油利権にあったとも言われている。

 

このように兵士の士気を高めるために崇高な目的を掲げることは、古来よく使われている手段で、大義名分はキレイゴトである必要があるのだ。

リッツ・カールトンがやろうとしていることも、同じようなものだ言えるだろう。

経営者のビジョンにコミットすることに対して、自分がネガティブなイメージを抱く理由がこれである。

 

権威に従うことの快楽

 

とはいえリッツ・カールトンにやりがいを与えられることで、従業員が幸福感を得ている側面がることも否定できない。

なぜやりがい搾取されている人が幸せを感じてしまうのだろうか。

やりがいについてもう少し考えてみたい。

 

完全教祖マニュアルという本がある。

胡散臭いタイトルで、内容も一見おちゃらけているが、キリスト教、イスラム教、仏教などの既存宗教の分析・考察は本格的である。

 

本の中に「権威」について書かれた部分がある。

権威というとネガティブなイメージがあるが、実は人間は権威に従うことが大好きなのだという。

 

この世界には選択肢が掃いて捨てるほど存在している。

もし誰の権威にも頼らないとしたら、無数の選択肢の中から自分の意志だけで決定を行わなければならない。

これはとても大変なことである。

だからこそ宗教という権威に、多くの人が従うのである。

 

信仰を持った人に「信仰を持ってよかったことはなんですか?」と尋ねると、「しっかりとした価値観が持てるようになった」という返事が返ってくるのだという。

これは権威に従えば自分で考なくてよいからすごく楽だ、ということを意味している。

 

自分の目標・やりがいを外から与えてもらうことは、搾取のリスクを伴う。

しかし意思決定を自分で行うことには多大なエネルギーが必要になる。

そのため与えられたやりがいに従って搾取されることが、案外心地よかったりもするのかもしれない。

 

まとめ

 

自分も医者になってから、外から与えられた目標に従って、無思考で日々を送ってきた。

何も考えずに目の前のことだけをやっていればいいので楽ちんだ。

専門医をとって、学位をとって、医局の指示に従って病院を異動する。

 

しかし手技や知識が頭打ちになって、なんとなく満たされない気持ちが生じたときに愕然とする。

自分が本当にやりたいことは何なのだろうか、と。

働かないオジサンになる医者ならない医者

「働かないオジサンになる人ならない人」という本によると、サラリーマンは40歳付近で壁にぶつかることが多いそうだ。

会社員人生には前半戦と後半戦の2つの段階がある。

前半戦:~30代中盤

 

目標を自分で考えて設定するのはとても大変だ。

しかし人生100年時代では必要なことだと思う。

 

Source: 皮膚科医の日常と趣味とキャリア

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