独りで逝くのは、きっと淋しい。

「あと2か月だと思ってください」――

緩和ケアの先生にそう告げられたのは、
6年前のこと

6年前の今頃は、
母の残された命の時間と向き合うため、
私の気持ちも生活もゴタゴタしているときだった

「あのとき、
 まだコロナがなくてよかった...」

昨年1月からのこの新型コロナウイルスで、
病院は未だ入院患者への面会はできない状態

病棟へ向かうエレベーターの前には
警備員が張りついている

母の終末期がこのコロナ騒動の真っ只中だったら、
母に寄り添うこともできなかったのかもしれない

手を握ってあげることもできなかったのかもしれない

...そんなことを思った

が、結局、母は、孤独に死んだ

夜中、誰にも看取られることもなく...

薄暗い病室

飾り気のない、
白い壁に囲まれたベッドに横たわっていた母

そんな中で逝った母

たぶん、苦しむことなく、
きっと、眠ったまま亡くなったのだろう

駆けつけたとき、
それほど穏やかな表情をしていた

ただ、ひとつ、気になったことがあった

それは、ベッドの中で、
母の手と足が少しばらけていたこと

「もしかしたら、少し苦しんだのかな...」

いや、穏やかな表情をしていたことが、
眠ったまま亡くなったことを
意味しているはずだ――

今の、このコロナ期のことを思うと、

「あのとき、本当にコロナじゃなくてよかった」

と、思うのだ

  “がん宣告”という言葉は、
  20年ほど前から
  “がん告知”と言われるようになった

  “余命宣告”も私は敢えて、
  “余命の告知”と使うようにしている

  それは、“宣告”という言葉の響きが
  どうしても心に突き刺さる気がするから

  “宣告”は、やっぱり酷な言葉だと思う

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Source: りかこの乳がん体験記

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