神の詩 第二章第十四~十五節 2

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神の詩 第二章第十四~十五節

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「クンティの子(アルジュナ)よ、感覚がその対象に触れると、寒暑や苦楽の感情が生まれる。この感情は現れたり消えたりして、長くは続かない。これに耐えよ、アルジュナ。(十四)」
「アルジュナよ、これらの感情に苦しまず、苦痛と快楽を淡々と受け入れて動揺しない者は、不死に値する。(十五)」


続きです。

感覚の制御は、
霊性進化を目指す上で重要な事項になります。

インドには、
「感覚の制御を伴わない霊的修業は、穴の開いた壺と同じ」
という言葉があります。

感覚の制御は、
忍耐と同時に重要な課題となるものです。


忍耐

忍耐は、
感覚の制御にも必要不可欠なであり、
人が霊性を進化させる上で
最初に求められる資質の一つです。

釈迦大師も、
この地上のことを
「堪忍土」
といいましたが、
思い通りにならないこと、
理不尽なこと、
苦しいことにも耐える必要がある場所という意味です。

高次元の意識に到達するために、
まず最初に身に着けるべき資質が
「忍耐」
です。

高次の領域では、
忍耐力に欠けた人が達成できることは何もありません。

忍耐力の欠如は、
心の乱れを誘発し、
高次の領域の繊細な能力を閉ざしてしまいます。

多くの人は忍耐を、
「じっと我慢して耐え忍ぶこと」
だという認識を持っています。

それだけでしょうか?

忍耐には、
二段階あります。

最初は、
「我慢して耐え忍ぶこと。」

困難や辛いことがあっても、
心を押し殺してじっと耐えます。

これは、
受け身の忍耐の形です。

次の段階では、
困難や辛いことがあっても、
心を深い意識の中に保ち
「真から平安で、心を愛で満たすこと。」

これは、
積極的な忍耐の形です。

この積極的な忍耐が、
本当の忍耐の正体です。

心が静寂の中に安定し、
愛で満たされていれば、
どんな困難でも辛いことがあっても、
それに耐える力が授かり、
心は平静でいられます。

このような境地に到達することが、
忍耐の本当の姿です。

忍耐を、
受け身の忍耐から積極的な忍耐へと変容させるには、
何度も何度も困難に直面し、
克服していくしかありません。

クリシュナが
「感覚を受け入れて」
と述べた通り、
逃げるのではなく、
全面的に受け入れることが大切です。

人生さまざまな場面で、
プチ忍耐が必要なことがたくさんありますよね。

それは、
忍耐を学ぶいい機会。

忍という字は、
心の上に刃を載せています。

刃を作るには、
何度も何度も鋼を心を込めて叩いて、
作られます。

そうして立派な刃物となります。
ぽんっと一回二回叩いただけで
名刀を作ることは不可能です。

名刀ほど、
心をこめて何度も叩かれるものです。

名刀を作る鍛冶屋は、
心をこめて繰り返し刀を叩きつづけます。

この工程は、
鉄の形を整えているのではなく、
繰り返し叩くことによって
鉄の結晶が微細化されて結晶の方向が整い
強度を増すのです。

さらに、
結晶が整うと同時に、
鉄の中に含まれる不純物が叩き出されるのです。

名刀の刃を優れたものにするために、
すべての工程が
とても丁寧にとても慎重に行われます。

しっかりと叩かれて鍛錬された刃は、
叩かない刃と違い、
はるかに衝撃に強い、
柔軟かつ強靭なものとなるのです。

人の忍耐も名刀と同じです。
あまり叩かれないうちは受け身の忍耐ですが、
繰り返し叩かれるうちに
積極的な忍耐へと変容していきます。

人は、
生きているうちは
何度も何度も困難に直面します。

その時に
心をこめて対処することで、
忍耐を少しずつ学んでいくことになります。

それは
優れた刃をもつ名刀の作られ方と同じです。

心の鍛錬は、
一度に学ぶよりも
少しずつ一歩一歩学んでいく方が
確実に成長できます。

続きます。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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