神の詩第四章三節 12

その他
神の詩第四章三節 12

nepal-5282909__340

「汝は私を信愛する者であり、友でもあるから、この太古からのヨーガを、今回、私は汝に語った。実にこれは最高の秘密である。(三)」

続きです。

師は、
弟子たちを霊的に目覚めさせて、
霊的段階に応じて
導きを与えることが出来ますが、
弟子の霊的発達については
弟子次第になります。

弟子たちの霊的発達について、
ヨーガ・スートラには次のように書かれています。

「激しく熱烈に実践する者にとって、サマーディは近い。」第一章21節

「熱烈な者にもまた、穏和、中位、強烈と分けられる。」第一章22節

これには多重に意味が重なっている節ですが、
霊性修行における熱意と実践の程度によって
弟子のタイプを分類しています。

一般社会では、
目標まで到達が早いことが美徳とされていますが、
霊性進化の道では
早い遅いは何ら問題ではなく、
それは
神との合一へ向かうことへの確認にすぎません。

時間軸を超えた領域に入るのですから。

穏和でゆっくりであれ、
熱烈で急速であれ、
地上での無駄で無益な時間を費やすことなく、
神へと向かう揺ぎ無い精神を持ち続けることが
何よりも大切になります。

「太古からのpuratanah」
という表現は、
この叡智がさまざまな時代を超えて
人類に恩恵を与えてきた歴史があることを意味しています。

世間で役に立っているとされる多くの情報は、
時代と共に消えていきます。

でも
真理に根ざした叡智は、
時の試練にも色あせることなく
常に新鮮な光の指針として輝き続けます。

また魂が、
人として地上に下りてから
今までの自分自身のことをも示しています。

クリシュナは、
ここでアルジュナのことを
「bhaktah(信愛する者、帰依する者)」

「sakha(友)」
と同時に読んでいます。

これは、
クリシュナ(神)は
本質的にすべての存在が
上下関係も無く差別なども無いことを示しています。

この二つの言葉を並べることによって、
クリシュナは、
自らを
相対的な立場に立脚していない
という立場を明確に示しています。

続きます。

今日もありがとうございます。
ブログランキング参加しています。
応援クリックお願いします。

人気ブログランキング

Source: ひかたま(光の魂たち)

コメント

タイトルとURLをコピーしました