神の詩 第四章十節 2

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神の詩 第四章十節 2

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「執着と恐怖と怒りを離れて、私に心を注ぎ、私に帰依し、叡智という火(の苦行)で清められた多くの者が、私の本性に達した。(十)」

つづきです。

「私に心を注ぎ、私に帰依し、・・」

旧約聖書の中に
「ヨブ記」
というものがあります。

ヨブは、
彼の住む地の人々の中でも
特に
徳の高い
神に心を向けている人でした。

彼は、
物質的にも裕福であり、
七人の息子と三人の娘と
何不自由ない幸せな人生を送っていました。

ある日、
天界では
神の御前に
サタンを含むさまざまな神の使いたちが集まりました。

神は、
神の使いたちの面前で
ヨブの正義を示しました。

それを見たサタンは、
ヨブの神への信仰心の動機を
疑いました。

サタンは、
裕福なヨブの神への信仰心は
ご利益を期待しているものであり、
財産を失えば
神のことを呪うだろう
と考えました。

神は
ヨブを信頼していて、
何があっても
ヨブの帰依心が揺らぐことはない
と言います。

サタンは、
ヨブの財産を奪うことをで、
ヨブの帰依心が揺らぐかどうか試したい
と提案しました。

神は、
このサタンの提案を受け入れ、
ヨブの命に手を出すことだけは禁じました。

こうして
サタンによって、
ヨブは
最愛の人々や
財産を
失うことになります。

どんな不幸が襲ってきても、
ヨブはけっして罪を犯すことはなく、
神への帰依心も揺らぐことはありませんでした。

所有物を奪われても
ヨブは次のように語ります。

「わたしは裸で母の胎を出た。
また裸でかしこに帰ろう。
主が与え、
主が取られたのだ。
主のみ名はほむべきかな」
ヨブ記第一章21

自分の思い通りに行かなかったサタンは、
ヨブに対する試練が徹底していなかったと考え、
今度は
ヨブの肉体自身に
厳しい苦しみを与えます。

そして、
サタンによって
ヨブの全身には
ひどい腫物が出来てしまいます。

ここまで苦しんで
彼の妻は、
「神を呪って死ぬ方が良い。」
と言いますが、
ヨブは次のように言います。

「あなたの語ることは愚かな女の語ることと同じだ。
われわれは神から幸を受けるのだから、
災をも、
受けるべきではないか。」
ヨブ記第二章10

苦しみ続けるヨブの元に
三人の友人がお見舞いに来ました。

彼らは、
ヨブが何か悪いことをした報いに違いない
と言います。

ヨブが裕福だったのは、
貧しい人たちから富を奪ったのではないか
とまで言い出します。

ヨブは、
自らの正しさを確信し、
何ひとつ悪いことはしていない
と反発します。

ヨブが内なる声に耳を傾けたその時、
嵐の中から
神自身がヨブの面前に顕現します。

そして、
神は、
ヨブに神を取るか、
自分を取るのか
選択を迫ります。

ヨブは、
いかなる苦難にあっても
神への帰依心を失うことはありませんでした。

神は、
再びヨブに富を与え、
さらに
七人の息子たちと国で最も美しい三人の娘たちを授け、
140歳という長寿で幸せに暮らしました。

愛情と献身奉仕の経典とされる
「バクティ・ラサームリタ・シンドゥ」には、
次のようなことが記されています。

「人は、
最初に悟りを開こうという願いを強くしなければならない。
願い続ければ、
自然と霊性の高い人々との交流を求めるようになっていく。
それから
さらに霊的に進歩した師と出会い、
さらにその導きによって愛を基調とした献身奉仕を実践する。
この実践を続けることによって、
物質的な束縛から解放されていき、
執着も消え去っていく。
そして
神、
宇宙意識への愛が高まっていく。
神に対する純粋な愛の境地の中で生命は完成形となる。」

次は

「人々がいかなる道をたどって私に近づこうとも、私はそれに応じて、人々の願いを受け入れる。人々はすべて私への道をたどる、アルジュナよ。(十一)」

よく内観してください。

まもなく発売の第四巻は
もう少し加筆されています。
お楽しみに。
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Source: ひかたま(光の魂たち)

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