神の詩 第五章第二節 6
スリー・クリシュナ
「行動の放棄も行動の実践も、どちらも至福(解脱)に至る。しかし、この両者の内、行動の実践の方が行動の放棄よりも優れている。(二)」
続きです。
行動の放棄には、
さまざまな段階があります。
さまざまな段階があります。
これは、
アルジュナたちパーンダヴァ兄弟が行っている戦争の縮図でもあります。
最初は、
世俗での活動を放棄するということ。
世俗での活動を放棄するということ。
これは
出家を意味するだけでなく、
社会生活にいながらも
霊的進化を妨げるあらゆる要因から
遠ざかることも意味しています。
誰でも
いきなり
清らかになれるわけではありませんし、
外面的に放棄しても、
内面的放棄が
それに自動的に続いてくれるわけでもありません。
いきなり
清らかになれるわけではありませんし、
外面的に放棄しても、
内面的放棄が
それに自動的に続いてくれるわけでもありません。
まずは、
自分の心で識別した悪しき習慣と感じるものを放棄し、
悪しき行動を放棄して、
さらに
悪しき思いを放棄していきます。
自分の心で識別した悪しき習慣と感じるものを放棄し、
悪しき行動を放棄して、
さらに
悪しき思いを放棄していきます。
出来るだけ悪しきものを避けて、
善行を行うことに集中していきます。
心の中に悪しきものが全くない人はいません。
イエス・キリスト大師は、
「あなた方の中で、一度も罪を犯したことのない者が最初に石を投げなさい。」(ヨハネによる福音書8:7)
と言いました。
「あなた方の中で、一度も罪を犯したことのない者が最初に石を投げなさい。」(ヨハネによる福音書8:7)
と言いました。
これを聞いて、
誰一人として石を投げた人はいませんでした。
人生の中で
一度も罪を犯したことのない人などいないからです。
人は罪を犯すことによって、
悲しみや苦しみを経験することになります。
悲しみや苦しみを経験することになります。
その一連の印象を学んでいくことによって、
魂はさらに成長していきます。
そして、
ある一定の成長を遂げたところで、
悪しきものを自然と放棄していくことになるのです。
続きます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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