神の詩 第五章第三節 2

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神の詩 第五章第三節 2

写真は雪解け進む今週の白馬から
白馬三山の白馬鑓ヶ岳
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「憎しみも望みもない者は、確かな行者と知るべきである。アルジュナよ、相対を離れた者は容易に束縛から解放される。(三)」

続きです。

憎しみも望みのどちらも、
現在に
過去や未来を持ち込んで比較することであり、
この瞬間を見逃すことに繋がります。


この瞬間に在るのは、
意識の流れだけ。

足ることを知り、
「中今」
と言われるこの瞬間を
十全に生きていれば、
憎しみも
望みも
存在していないはずです。

足ることを知るとは、
ほんのわずかなもので我慢することではありません。

物質的な欲望や執着から離れて、
自分を
自由に表現することにより
すべての存在に
有益な活動をすることで心から満足することを言います。

その境地にいる者を、
ここでは確かな行者、
つまり
目覚めている者である
と説いています。

過去を思いわずらい、
未来を憂う思考は、
空に浮かぶ雲のようなものです。

発生しては流れながら形を変えていき、
やがて
消えていきます。

多くの思考が重なっていくと、
それらの雲が
本当の空を覆い尽くし、
あたかも
雲が空の実体であるかのような錯覚を生み出します。

そして、
その架空の実体に
意識が繋がっているかのように思ってしまうのです。

続きます。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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