神の詩 第五章第三節 4

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神の詩 第五章第三節 4

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「憎しみも望みもない者は、確かな行者と知るべきである。アルジュナよ、相対を離れた者は容易に束縛から解放される。(三)」

続きです。

このように
ギーターには
短い言葉の中に多くの意味が多重に含まれています。

また
ギーター全般に使われている美しい韻を踏む言葉は、
それを正確に唱える人の生体の波動にも良い影響を与えます。

ここでは、
yo na dvesti na kanksati
憎しみも望みもない者(ヨー ナ ドヴェーシュティ ナ カーンクシャティ)

yo (yah)~の人、
na 決して~ではない、
devesti  憎しむ、
kanksati 望む
この多くの意味が
凝縮された八音一節だけを見ても、
綺麗に韻を踏み
美しい詩になっています。

憎しみも望みも、
低次の自我が作り出します。

この低次の自我がある限りは、
解脱に至ることはありません。

ブラフマンと、
アートマンは同一であり、

ブラフマンのみが実在であるとする不二一元論ヴェーダーンタ哲学を説いた8世紀のシャンカラ大師(シャンカラ・アーチャーリヤ)は、
8歳の頃に
次のような詩を残しています。

「私は、
思考でも知性でもない。
記憶でもエゴでもない。
聴覚でも味覚でも嗅覚でも視覚でもない。
地でも空でも火でも風でもない。
私は無限の意識、
遍満する純粋な自己である。」
シャンカラ大師:ニルバーナ・シャタカム第一節

「私には、
好き嫌いはない。
欲望も願望もない。
高慢や嫉妬もない。
富や快楽や法や悟りを追求することもない。
私は無限の意識、
遍満する純粋な自己である。」
シャンカラ大師:ニルバーナ・シャタカム第三節

次は

「幼稚な者は知識(サーンキャ)と実践(カルマ・ヨーガ)が異なると言うが、賢者はそうは言わない。どちらかの道を究めれば、両方の成果が得られる。(四)」

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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