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光の魂たち 山岳編序章 人の御魂を磨く聖なる山々
森井 啓二
きれい・ねっと
2022-04-22


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長いですが
序文と目次
載せておきます。

序文 

美しい樹木帯を通り、清らかな湧水あふれる川を渡り、森林限界を超えて、一気に展望が開ける場所に出る。いくつもの険しい岩稜を超えて、光あふれる稜線を歩いていく。

大自然の美しさに感動し、太陽の光を浴び、心身を浄化するような風を受け、新鮮で澄み切った、エネルギーに満ちた空気を肺に思いきり吸い込む。

鳥たちの囀さえずり、虫の声、山の響きを聴いて、自分の心と共鳴させてみる。
土の匂いや、木の葉や草、花の香りを、五感のすべてを使って味わってみる。

標高が上がるにつれて、身体だけではなく魂までもが引き上げられるかのように、深い感動と共に、純粋で崇高な気持ちが湧いてくる。
果てしない大空を見れば、自分の心も限りなく広がり、強く可憐で美しい高山植物を見れば、自分の心も強く美しく咲き始める感覚が生まれる。
遠く連なる山々を見通し、大樹に抱きつき、大岩に触れてエネルギーを受け取り、裸足になって大地に触れる。

自然の中に入り、すべての存在と感覚を共有していくことで、至福感が拡がっていき、やがて自分という境界がどんどん消えていく ……。

人は、このような大自然の中での素晴らしい経験を通して、学ぶべきことがたくさんあります。

生命の誕生も、日々を生きることも、やがて迎える死も、それぞれの理想的な在り方を、自然界から学ぶことが出来ます。

自然界は、小さな自我(エゴ)には厳しくても、大きな真我(魂)には優しい。
だから、自分の内側、自我よりもずっと奥に在る真我に近づけるように導いてくれるのです。

「無情説法」
という言葉があります。
「無情」というと、情のない冷たいイメージがありますが、本来「無情」とは、人間が持つ感情や意思を持たない存在のことを指します。

山や海や空、草木や花、苔や岩、そして風や光も、すべて「無情」に分類されます。これら無情の存在たちが、私たちに真理を教えてくれることを「無情説法」といいます。

日本人は遠い昔、万物万象の中に目には見えない神のエネルギーを感じることのできる、精神性・霊性のとても高い民族だった時期があります。
だから、この無情説法をよく理解できる素質を持っているのです。

でも、その霊性の高い崇高な生き方は、現代社会の物質至上主義の影響により、今では忘れ去られてしまいました。

それでも日本人は、山に繰り返し入って大自然に接することによって、霊性の高い生き方を再び始めることが出来る民族です。

ひとたび山に入ると、森の中では木々や吹き抜ける風、射しこむ太陽の光、柔らかい土、清浄な湧水 ……、すべての存在がそれぞれの方法でとても繊細に語りかけてきます。

特に単独で山に入って修行していると、沈黙の静寂の中で、自分自身と向き合う貴重な体験が出来ます。
真夜中に厳しい高山の深い雪の中を進む時や、悪天候での雪中瞑想の時など、自分の弱さを痛感することもありますが、それと同時に「今」この瞬間を全力で生きることを学ぶ至福体験が出来るため、山から下りてくるとまたすぐにでも戻りたくなるのです。

山に入る時には、心を深く、清らかに鎮めていなければ、自然界の声は聞こえてきません。
しかし、都会に住む多くの人は、忙しさに追われて心を鎮めることをしなくなり、このような自然界の価値ある声から離れてしまっています。

自然界の声を聴くためには、まず、すべての存在を尊ぶことから始めます。
自然界と対話する能力は、使えば使うほど、意識して集中すればするほど、鋭敏に精妙になっていきます。

私たち現代人は、生まれてからずっと言葉を使い、すべての存在を言葉で定義する社会に生きています。
すべての人が、この宇宙の万物万象をすべて言葉で定義してしまいます。人は未知のものに恐怖心を持つと、言葉で定義したり、理論付けすることで安心しようとするのです。
言葉という重く硬い、物質世界特有の表現を使うことによって、存在そのものの無限の本質は制限されたものになってしまいます。有限の言葉では、無限の存在を的確に表現することはできないからです。

言葉を中心とした社会に生きていると、大人になる頃には、どんな時も頭の中で言葉であれこれ考え続ける言葉の奴隷になっています。すべての世界を、制約された枠の中に閉じ込めてしまうのです。
でも、言葉の奴隷になりながらも、多くの人が、意識の深いところでは言葉を超えた無限の世界を探求しようとしています。
それはまるで、鳥かごから出ないまま、空を飛ぼうとする鳥のようなものです。
一度言葉の奴隷になってしまうと、人は、先入観や偏見や知識、経験というフィルターを使って物事を見る習慣がついてしまいます。それは、青空や星空を見るのに、知識や経験という厚い雲を通して空を見ているようなものです。

知識や偏見を通して物事を見ることは、過去に意識を置いていることになります。

「今」この瞬間を生きるには、過去の意識に囚われない純粋な感覚を大切にしなければなりません。

子供の頃は、何を見ても、何をしても、世界が輝いて見えたはずです。大人になると輝きが色あせてくる。そして、表面的な喜びに変わってしまう ……。
それは、人生の中で多くの知識や経験、偏見や概念を身に着けてしまったからです。言葉の世界という表層意識の中に囚われてしまったからです。

今まさに、この世界に生まれたばかりであるかのように無垢な状態で、自由で純粋にいることができたら、それは霊性進化の正しい道を歩んでいるということに他なりません。

輪廻転生して生まれ変わってくるときに、一度すべての記憶を失うのは、この言葉を超えた純粋な感覚を繰り返し学ぶためでもあるのです。

私たちは自然界の中で、静寂の中で、もう一度、言葉を超えていかなければなりません。
言葉を超えた静寂の中に身を置けば、純粋な感覚が蘇ってくるはずです。

そして、純粋な感覚でいるとき、いつもの感覚とは違う精妙な感覚と喜びのエネルギーが、自分の内側の奥深いところから湧いてくるのを感じることができます。

「言葉を超えた世界」を体験から学ぶことは、とても重要なことです。
言葉を超える領域を体験する最も良い方法は、大自然の中に入っていくことです。
その中でも、それを最も効率よく、強烈に体験できるのが、「山」なのです。

人が一つのことに集中する時、時間も空間も超え、言葉をも超える瞬間があります。
その瞬間を迎えたとき、静寂な感覚が始まり、新鮮なエネルギー、自分の中から湧き出てくる光を感じるはずです。
外側の世界で、肉体を使った体験を通して、自分の中にある内在神の領域に入る体験。
それを体験すれば、私たちが地上に来た真の目的も理解できるようになります。

本書は、人と自然界を繋ぎ、魂を美しく磨き上げ、自然と一体化するための書です。
読み終えた後には、ぜひ自然の中へ入っていただきたいと思います。


目次
序文

神来(しんらい)

第1章 登山とは何か
・自然の中に入ることの大切さ
・山に入る登山
・山選び
・単独行
・山のエネルギーと同調する
・日本人と自然界の声
・聴こえない音を聴くこと
・山の規則、人の規則

第2章 山から学ぶ山岳修験道
・山で感じる言葉を超えた体験
・山岳修験道
・熏習と香光荘厳の世界
・抖擻
・山という字
・山伏
・修験道の宗教性
・自然界と調和する時代の到来

第3章 五大元素の習得
・五大元素とは何か
・頭中心の生き方から離れる
・五大元素の習得方法
・地のワーク
・水のワーク
・火のワーク
・風のワーク
・空のワーク
・自然界とのつながりを取り戻す
・五大元素を体験する真の目的
・霊的な能力について

第4章 美しい世界の創造に向けて
・山後に続く波動の影響
・自然界のリズムに合わせる
・古代から受け継がれる和の心
・分離から統合、そして超越へ

あとがき

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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