戦争の記憶…

内科医
chiran.png

この記事は…時間に任せて自分の思いを書いているだけですので
医療的な記事を読みたい方は、飛ばして下さい。

私が結婚前に鹿児島に行ったことがあります。
それはつまらない理由で、北海道と鹿児島には行きたいと思っていたからでした。

鹿児島空港に着いてレンタカーを借り…
台風のメッカの枕崎に向かいました。

と、その時に道の両脇に灯籠がある道を通ることになりました。
「特攻基地の知覧」です。

知覧は特攻基地として多くの若者の命が眠っています。
新婚間もないご家族のこと、ご両親のことを思いながら
国のためならば、と命を落として行ったのだと思います。

「特攻」は日本が負けると分かった時点で作成された計画だと思います。
「日本が負けても日本人の精神を残そうと特攻が始まった」様に感じます。

情けないとは思いますが…その様な記念館に自分は入れませんでした.

多くの涙と多くの感情が渦巻いている神聖な場所です。
「入れないな」と思って、通り過ぎました。

zero.png

映画の「永遠の0」を見て…
純粋で、真っ直ぐに生きていた人達には頭がさがります。

今は余りにも恵まれすぎて…
自分の権利ばかりを主唱するのが当然という人が多くなりました。
しかしながら、この頃は「赤紙一枚」で命を国に捧げなくてはなりませんでした。
その様な苦闘を知っている戦後の人達は、今以上に優しかった様に思います。
それは…大きな苦労を経て生きてきたからだと思います。

こんなことを考えると…

このままの姿の日本は続かないようにも感じています。

ganka_kensa.png
次は眼科の話に移ります。

実は自分は新卒当時には眼科に進もうと思っていました.

入局して半年間は、他の科での研修でしたので内科を選びました。

半年後、内科の一応の知識を身につけて眼科の医局に戻ってきました.

直属の一年上の上司は夏休みで、失明の後のリハビリの担当になりました。

ただ…内科的に診察してみると可笑しな所ばかり???
色々な科に連携をお願いし、徹底的に調べました。
と、ある日、「この薬止めてみたいですよね」とか、言われ。
精神安定剤でしたが、翌日は中止の指示を出しました。

と、視力が戻ってきたのです。
直属の一年上の上司は…気にくわないんでしょうね。ブスっとしていました。
ただ、その上の先生方には非常に褒められました。

一方で、その時に自分の眼科医としての人生は終わってしまっていました。
殆どの眼科医は身体と眼の結びつきを考えません。
一方で眼は身体の一部として、その使命を全うしています。
この様な疑問が抱いて眼科医を続けることも出来ません。

そして内科研修をやり直して内科医になりました。
今の内科でも臓器別に分類されており、連携を考える医師が少ない。
一方の漢方医学は身体を1つのものとして取り扱うことを基盤に置いており
それで一般内観と漢方内科を併用したら…良い治療ができるのでは?と考えました。

今週は休ませて頂きますので、長々とブログを書いてしまいました。
もっと素敵な日本になると良いな!と思います。d(^-^)ネ!


Source: 病気って…なぁに?

コメント

タイトルとURLをコピーしました