戦争で爆撃を受けなかった大都市は無い。
京都だけですかね?
広島長崎の原爆と、、
東京大空襲は10万人、大阪大空襲は一万人、、
それで、、
未だに慰霊祭を大々的にして碑に名前刻んで、総理が行っているのは沖縄だけ。
だからたぶん沖縄は前に進まない。
基地があるとしても、、
過去に生きている。
そう思います。
ワタシの父は、高校生でしたが学校は閉鎖で、、
グラウンドは畑になり、、
学生は大阪城の横にある大阪砲兵工廠で機関銃の弾とかを作っていたという。
パイロットの顔が見えたというグラマンの低空機銃掃射受けたり、、
最寄りの京橋駅が爆弾で吹っ飛んだり、、
住んでいた家の周りが焼夷弾(ナパーム)爆撃で焼死の死屍累々と灰燼と化した。
大阪市中心部は焼失したんです。
それでいて、、
大阪の年寄りから戦争の悲劇的な話は聞いたことは無い。
そこを越えてきたから、、
復興したんだと思います。
そして、、
焼失した大阪城も大阪市民の寄付で戦後再建した。
通天閣も地元民で再建した。
「通天閣の再建なくして新世界の復興はないやろ」
数人の商店主の間でこのような声が上がったのは戦後間もなくのこと。とはいえ、再建には莫大な費用がかかる。さらに初代通天閣のあった場所には既に民家が立ち並んでいた。お金も土地もないゼロからのスタート。「もし通天閣が再建できたら町中を逆立ちして歩いたるわ」「うどんで首吊ったるわ」と揶揄する者もいた。
そんな中、新世界町会連合会の雑野貞二会長の案で、地元の住民から出資を募り、会社を設立して再建しようという計画が動き出した。集まった金額は約5千万円。こうして昭和29年に通天閣観光は設立された。
大阪市の協力を得て、建設用地が確保され、地元の建設会社である奥村組の奥村太平社長が一部自腹を切って建設を請け負ってくださった。
役所や建設会社、そして地元の人たちの、なんとか復興のシンボルとして通天閣を再建したいという熱い思いが歯車を回し、昭和31年10月28日、二代目通天閣は完成したのである。その翌年、年間の来塔者数は155万人を記録。創業10年では延べ一千万人に上った。
再建から64年。大阪新世界のシンボル・通天閣は悲運の解体からいかに立ち直ったか|人間力・仕事力を高めるWEB chichi|致知出版社人間力・仕事力を高めるWEB chichiの、再建から64年。大阪新世界のシンボル・通天閣は悲運の解体からいかに立ち直ったかのページです。
戦争反対、、
そりゃそうです。
誰も戦争はしたくない。
それでもウクライナを観れば、、
一方的に侵攻を受けているし、、
ベラルーシ隣りのリトアニアとか、、
EUの制裁でロシアの鉄道を止めただけでロシアからは恫喝を受けている。
誰でも喧嘩はしたくない。
ですが暴力団が隣にあれば警察に頼らざるを得ない。
国家としての警察の軍隊は必要なんです。
それすらも否定して、、
基地は出ていけ、と、、
安全保障も捨てて、、
沖縄は何を守るんですかね???
侵攻そして蹂躙され、、
オキナワという地名さえ消されてしまい、、
文化は破壊され、、
言葉も文字も奪われ、、
世代変われば、、
歴史は消され、、
民族浄化すらされてしまう未来が見えています。
そしてそれは、沖縄(のサヨクと同調者)が望んだ結果です。
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2
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