「真我を知る人々は、学識のある謙虚なバラモンも、牛も、象も、犬も、犬を食べる賎民も、同等に見る。(18)」
聖者は、
普通の人のように
「肉眼」
で観ているようでいて、
実は
「智慧の眼」
で観ているのです。
普通の人のように
「肉眼」
で観ているようでいて、
実は
「智慧の眼」
で観ているのです。
バラモンとは、
清らかな心の人のことを指しています。
清らかな心の人のことを指しています。
釈迦大師の言葉を収録した「スッタニパータ」の第二十六章には、
バラモンについての言葉が
数多く収録されています。
バラモンについての言葉が
数多く収録されています。
これを読むと、
バラモンとは
社会的な地位や家系などとは関係なく、
心の在り方である
ことが明確になっています。
その一部を見てみましょう。
「生まれによって賤しい人になるのではない。また、生まれによってバラモンになるのではない。行動によって賤しい人ともなり、行動によってバラモンにもなる」
「身にも言葉にも心にも、悪い事を為さず、謹んでいる人、彼をバラモンと呼ぶ」
「現世を望まず、来世も望まず、欲が無く、囚われの無い人、彼をバラモンと呼ぶ」
つまり、
世俗的なことで心が揺れ動くような要因を
すべて落した清浄な人のことを、
バラモン
と呼ぶのです。
世俗的なことで心が揺れ動くような要因を
すべて落した清浄な人のことを、
バラモン
と呼ぶのです。
たとえ
身分の高い僧侶の格好をしていても、
心が穢れたままでは
バラモンとは言えません。
もう一節だけ紹介しましょう。
「過去世の生涯を知り、天界と地獄界を見ることが出来、生死を超えて、直感智を成就した聖者、成し遂げるべきことをすべて成就した人。彼をバラモンと呼ぶ」
続きます。
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Source: ひかたま(光の魂たち)
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