地震の中で、1番ひどく揺れたのは、「阪神淡路大震災の大地震」ではなかったでしょうか?
焼き野原となった神戸は、ロスの地震よりもひどかったです。
神戸に住んでいたホウホウだからわかる事は、あの地震は、「絶対に震度7」ではなかったと強く思っております。
まず高速道路が崩れたり、JRや私鉄の高架が何十ヶ所も崩れ落ち、地下鉄内でも崩れた場所があって、鉄道が走る時間帯なら、数万人は死んでたはずです。(始発がまだ出てない時間が「幸い」だった)
街全体の電柱が折れたり、倒れたりして電線が垂れ下がり、街は昔の中国の様に「自転車天国の様」になりました。(電線が外に飛び出してる様子は、世界から見ると遅れています)
ただし消防車が足りずに、県外からの応援の消防車を足しても、火を消す水もなく、迫って来る火が恐かったです。1種間くらいは、区役所前の大通りの真ん中に他県の消防車が何十台も止まっていました。
あの日は、市役所や百貨店の途中の階は、ぺっしゃんこにつぶれ、橋は落ち、朝早くなかったら、えらい事になっていたはずです。そごうの催し会場も1階下に落ちて崩れておりました。(大丸も中央が落ちてました)
又、「家の倒壊」も激しく、ホウホウの親戚や友人も、ぺっしゃんこになって亡くなってしまいました。父が貸してる家も倒れました。
ライフワークは寸断され、「トイレやバスが使えない大変だった期間」が、長く続きました。
その時は、「ホウホウが貸りていたオフィス」が半壊になり、「ホウホウの座っていた横」には直径50センチくらいの空洞がでてておりました、たぶん出勤時でしたら、50センチのコンクリートの塊が側頭部に当たって即死だったでしょう。(開運フェアの前の「夢雑貨」をしていた時です・・)
そしてその半壊してしまったビルからは、「新しい場所に引っ越しする事」ができませんでした。何故なら、神戸のどこのビルも壊れたり燃えたりして、「物件がなかったから」です。
「携帯がない時代」であって、元形を知らない全壊したビルや半壊したビルは、報道されず、特にダイエーのビルの多くが、ほとんどが潰れてしまい、中内会長が泣いておられました・・
街はグジャグジャになってしまい、「神戸の街の1年間」は、ほとんどの交通違反が許されました。
どこに路上駐車しても1年間は違反になりませんでしたが、ホウホウは親戚の安否確認は自転車(その頃やっていたマウンテッバイクが役にたちました)で行いました。
本当に「あの時の異常な揺れ」は、想像以上でした。
今でも「寝ていた時の強力な揺れ」の感覚は忘れる事ができません。
「住んでる家が倒れなかった事」は、とっても幸いでしたが、おそらく「土地の岩盤」が強かったのでしょう。
「残念な事に倒れた家の多く」は、やわらかい地層の上か、元々が池や川があった上に建てられた家がほとんどでした。レンガの建物は、ほとんど全壊しました。
あの時の地震は「人口地震だ!」とも言われておりますが、今さら考えてみると「あの大きな揺れは、本当に自然の地震」ではなかった様にも思えてきます。(地震前には街全体が閃光で光りました。)
もう「こんな経験」は、二度と味わいたくないですね・・
黙とう・・・
It's up to you 、 すべては自分次第!
ホウホウの独り事: 今から考えてみると、その時は、「恐さ」や「辛さ」は全くありません。何故ならすぐに現状を受け入れたからです。「開運フェア」をしたのも、地震がきっかけとなりました。
お風呂は大学の友人が送ってくれた「海水魚用の大きなヒーター」で、7~8時間かかって湯を沸かせておりました。友人には感謝、大感謝です。
復興は、早かったです。2~3年で元に近い状態になりました。
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Source: ホウホウ先生の開運ブログ
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