日本ではどうか

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日本人は生まれてから ひと月めに神社で「お初参り」,結婚式はキリスト教の教会で,そしてお葬式はお寺で,という具合に,宗教にはまるで無頓着と言われます.このことから日本人は無宗教であるとはよく言われることです.

しかし,それに異を唱えた人がいます.

(C) KADOKAWA

ユダヤ人の定義が『人種,国籍にかかわらずユダヤ教を信ずる人』であるように,日本人の定義は『日本教の信者であること』と唱えたのです. この『日本教』という概念は当時 大論争を巻き起こしました . 現在でもこの本は版を重ねています(私が参照した 角川文庫版では最新版は113版!).

日本教とは

著者の山本七平(出版時には,ユダヤ人の「イザヤ・ベンダサン」と名乗っていましたが)によれば,日本教とは 世界の宗教の中でも もっとも強固な宗教だと述べています. なぜなら 信者である当の日本人ですら,それが宗教であることすら意識できないほど完璧に浸透しているからです. 日本教には ご本尊も教義も教典もありませんが,しかし それでも日本教徒は まったく無意識の内に日本教を守っていると述べています.『日本教』の教義はこういうものです.

素朴な自然信仰】
 どこにいてもお天道様が見ているから悪いことはできない
 水と安全はタダである
 何事も自然が一番.人工的なものはおぞましい
 日本の自然は美しい【注1】
 
【人間中心主義
 「空気」を読んでそれに従う
 団結が第一.身勝手は許されない
 同じ人間だもの 話し合えばきっとわかりあえる
 対立するよりは,何とか一致点を見出そうとする【注2】

【注1】ここで言う『自然』には,「里山」や「水田」など,人間の手が加わったものも なぜか含まれます. 

(C) sorairokurage さん

【注2】日本教をもっとも正しく理解しているのは米国のビジネスマンかもしれません. 日本の会社との商談契約交渉が始まるや,まずとんでもない要求を次々と突き付けて ゴリゴリ押しまくります.日本側がおろおろとうろたえて 防戦一方になったところを見計らって,ほんのわずかだけ『譲歩』すると,すかさず食いついてきて,めでたく契約成立.向こうはニンマリ,日本側は ホッと一安心. そんな場面を何度も見てきました.対立を避ける日本教の特徴をうまく利用しているのです.

いかがでしょうか.日本人ならすべて思い当たることばかりではないでしょうか.

NHK-BS番組の『こころ旅』は,日本教の『巡礼に相当する』と言った人がいるようですが,当たっていると思います.

(C) NHK

前者の『自然崇拝』から,日本教には 教会はありません. 後者の『人間中心主義』から,絶対神が存在しません.

日本教の素朴な信仰の場は『鎮守様』『氏神様』などですが,そこは 世界の多くの一神教とはまるで異なります.

一神教では,神と人間との関係は 「神を信じ,戒律を守るという契約」であり,絶対支配絶対服従です. したがって信徒が神との契約(=戒律)を守らなかったら,契約違反なので 神は人間を守らなくても当然です(それどころか天罰を下す) .

前記の 「日本人とユダヤ人」の中で,金に困ったユダヤ人が自分の食事を減らしてでも ユダヤ教徒の義務だからと 教会に寄進しようとするユダヤ人を見て,日本人の女性が『困っているのに戒律を守れなんて,ユダヤの神様は水臭いのね』と述べたエピソードが書かれていますが,著者の山本七平氏は,この奥さんの言葉こそ『日本教』の真髄を言い当てているとしています.

この考え方の中に,一口にいうなら(日本教における)神と人との関係は「水臭いものではなく」「肉親的なものである」という考えがある. 従って,前述の日本女性のように「ユダヤ人の神様って水臭いのね」という言葉が出てくる. この言葉は,本人が考えている以上に,非常に重要な言葉なのだ.

日本人とユダヤ人/角川ソフィア文庫版 p.149


ここまでの記事では,進化論をめぐって科学と宗教との関係をみてきました.
そこでの『宗教』とは聖書を持つ キリスト教・ユダヤ教などの一神教宗教でした.そして絶対支配の神を侮辱するのはけしからんという理由で,進化論に反対する人がいたわけです.

それでは,『日本教』が世界最強の宗教として浸透している この日本において,この「科学と宗教」の関係,とりわけ『医学と日本教』との関係を見ると どうなるのでしょうか.

[続く]

Source: しらねのぞるばの暴言ブログ

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