外見(そとみ)の自分と、一方で、内見(うちみ)の自分は、年を追うごとにいよいよかけ離れ、どちらも“本当の自分ではない”と感じる者がいかに多いことか。
果ては、“本当の自分”を探す旅へと繰り出し、人生を彷徨(さまよ)い続けていく。
それは果たしていつ見つかるのか、そして一体何が、本当の自分なのか。
自らの(今の)その姿もまた、日々の歩みのなかで紡ぎ出され、いずれの姿をも神は愛しむ。
さらにはその愛しき姿を、他の誰でもない、そなた自らが慈しむことを、われら(神々)は何より望むのだ。
雄大なる自然の姿、人々の絆、縁に導かれた美しき出来事等々、数えきれないほどの素晴らしき世界が、この世には満ち溢れている。
そしてまた、これらに劣らぬ珠玉(しゅぎょく)の光は、神が創りし、人間という生命の姿であろう。
他でもない、自分のありのままを愛(め)でねば、この世の溢れる幾多の愛は、いつまでも見出すことは叶わぬだろう。
***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、大変励みになります。 ■精神世界ランキング
■人気ブログランキング
※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***
※応援して下さる方は、下の2箇所のクリックをしていただけますと、大変励みになります。 ■精神世界ランキング
■人気ブログランキング
※ご質問はコメント欄へお寄せください。
内容を拝見し、お答えが可能なものに関しては、順次ブログにて回答を掲載させていただきます。
***
Source: 神々からのメッセージ
コメント