間違った捏造歴史を主張する、、朝鮮半島人DNAです。
もう馬鹿でしかない。
徴用工と言われる人達は募集工や官斡旋です。
倍率何倍という狭き門に対して自分から積極的に応募して日本に来た。
そして給与・待遇は日本人と同じです。
更には朝鮮への帰国時に退職金に送別会に餞別まで貰っている。
第一次世界大戦でのイギリスも、男性が兵役に取られてて為に武器の製造や電車の運転手とか女性が担っていましたし、女性兵士の部隊も作られました。
アフリカ・インド・中国とか欧米の植民地からは、現地人が徴兵・徴用されています。
世界的に戦時は国民の義務として徴兵があった訳で、同様に工場に学徒も動員され、婦女子も武器製造に駆り出されています。
徴用は国民の義務とされていたので徴用された事で賠償を求めるというのは法に沿わないと思いますね。
事後法・遡及法で責める・裁くのは間違いです。
2025年から80年を引くと1945年。
今、80歳の人は終戦時は0歳。今、90歳でも終戦時で10歳。
赤ちゃんも働かされたのか・・
赤ちゃん、どんな重労働をさせました??— 統一原理を愛して (@_5773812577462) July 19, 2025
韓国の最高裁判所が2012年5月、「個人の対日請求権は有効」との判断を示して以来、元徴用工やその遺族とされる人々が「強制労働被害」の賠償を日本企業に求める訴訟が韓国で相次いでいる。
しかし、日本が徴用工問題で責められる理由は本来存在しない。
10年4月2日の衆院外務委員会で、自民党の高市早苗衆院議員が示した外務省発表資料(1960年2月)などによると、朝鮮半島での労働者募集は、企業担当者が直接現地に出向いて募集する「自由募集」が1939(昭和14)年に始まり、42(同17)年からは朝鮮の行政機関を通した募集である「官斡旋(あっせん)」が行われた。応募するかは個人の自由であり、応募しなくても罰則もなかった。
「徴用令」の朝鮮半島での発動は44(同19)年9月であり、内地より5年も遅れている
る。
「徴用」はすべての国民に課された義務であり、日本国民だった朝鮮人男性に適応されたのは当時の国際法に照らしても何ら問題はない。
「徴用」を強制連行と言うなら、内地で徴用された日本人もすべて「強制連行」されたことになる。
「日本人に話すな。強制連行と思い込んでいるから、本当の話をするな」筆者は、1975年に高麗(こうらい)大に留学してから40年以上も韓国・北朝鮮問題を取材し、多くの本や論文を執筆してきた。だから、韓国人と朝鮮人に好意を抱いているし、尊敬すべき多くの韓国人にも助けられてきた。市井の韓国人は素朴で親切だが、政治や運動に携わる人たちは平気で嘘をつく。徴用工問題が話題に上るたび、筆者は一人の若者を思い出す。三十数年前、米スタンフォード大のキャンパスで出会った李隆(イ・ヨン)君だ。山口県出身の在日韓国人だが、韓国語は使えない。人を「在日の敵か味方か」見極める目つきがギラギラしていたのが印象的だった。でも、韓国人留学生と韓国語で自由に話す様子を認めたのか、警戒を解いた李君はすぐに筆者と打ち溶け、ある日こんなことを話してくれた。「在日が強制連行で日本に来たのは嘘ですよ。オヤジに日本人に絶対に話すなと言われた」李君の父親は戦前徴用工として八幡製鉄所(現日本製鉄)で働かされたが、毎月給与はきちんともらえたし、仕事上で差別もいじめもなかった。それに、終戦で韓国に帰る際には退職金も渡されたし、日本人工員たちも送別会を開いて、餞別(せんべつ)までくれたという。ところが、韓国に帰国したものの、仕事がなく食べていけなくなって、再び日本に密航したのであった。「日本人に話すな。強制連行と思い込んでいるから、本当の話をするな」と李君に念押ししたのも無理もない。
李君の父親のような証言は長きにわたって封印されてきた。こうした証言収集に取り組んだ学者も攻撃に遭い、存在をも否定されてしまった。土壁の藁葺屋根で、、学校も病院も下水も水道も鉄道も電気も無く、、国民の半分以上が奴隷階級の国を奴隷制を廃止して近代化した、、、そもそも「植民地」ってそこから収奪するのが目的です。やったことは近代化。併合した国を近代化したのは「植民地」とは言えませんからね「朝鮮の植民地化はよくない」ってのは、、あんな国に国家予算規模の大金を突っ込んで近代化して人口を二倍以上に増やした恩を仇で返された、金を払ってもおかわりを要求する、全て相手のせいと責任転嫁する、そんな「民族」を併合したのは日本の失敗だったな、、ということです。
取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2


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