“使える薬がなくなる”ということ――。

その他

世間は連日、
新型コロナウイルスの話題

少し、息が詰まってきた

なにか、明るい話...
楽しいことはないだろうか――

...ということで、以前撮り溜めた、
北海道の広大な景色に癒されようと、
アルバムを開いてみた

“アルバム”と言っても、
プリントされた写真が一枚一枚貼られている、
昔の、あの、重たく分厚いものではない

今の時代は、“パソコン”である

「それがいいのか、悪いのか...」

結果的に、
たくさんの画像が残されてしまう羽目になる

アルバムをじかに手にしない分、
想い出も希薄になっているような気もする

そして目に留まった、1枚の写真――

2020/03/09 最後の食事会

母が亡くなる1か月半前、
食事会を開いたときの写真だ

「余命2か月」と医師に告げられ、
「亡くなる前に...」と、実現した食事会

いつ、どうなるかわからないがんの終末期

直前のキャンセルも視野に入れての予約だった

母はいつも笑顔だった

  “外では”...という注釈をつけておこう

「本当に母は、まもなく死ぬのか...」

そう思えるほど、食欲も旺盛だった

  私より食べていた

「母は本当に末期なのか...」

そう思うほど、この時はぽっちゃりしていた

が、小脳転移のせいか、顔はかなり浮腫み、
私が知っている母の顔ではなくなっていた

このとき、母はみんなの前ではっきりとした声で、

「頑張って、がんを治します!!」

と、宣言していた

希望を持つことは、
いい方向に行く可能性も秘めている

が、母に託された時間は1か月半

なんとも複雑な思いがこみ上げた

あの時ほど、

「時間が止まってくれたら...」

そう思ったことはない

このとき、母にはすでに、
使える薬、施せる治療は残されてはいなかった

  もともと、甲状腺がんに使える薬はなかった

「使える薬がなくなることは、希望を失うことではない」

と、医師は言う

もちろん、最期まで自分らしく生きていけたら、
それが“希望のある人生”なのかもしれない

が、現実には、そこまで割り切ることはできない

“治療がなければ、このまま死を待つだけ”

イコール、“希望がない”

そう思ってしまう

事実、母に「治療がない」と聞かされたとき、

「このまま死を待つだけなのか...」

と、何もできないことに無力感を抱いた

「みすみす、人ひとり
 死んでゆくのを待つだけなのか...」

と、歯痒い思いもした

そして私自身も、
左乳房から複数見つかったがん細胞の一つが、

“化学療法も放射線治療も効果がない”

そう知ったときの衝撃――

  唯一、ホルモン剤が有効なタイプだったのが
  幸いだった

『使える薬がない』
『治療法がない』

それはやはり、患者にとっては、
限りなく絶望に近い

  ただ、希望は捨ててはいけない

  母が最後まで、

  「頑張って治します!!」

  そう言っていたように

   
  すべての人に、命の期限がある

  “自分らしく生きること”を忘れたくはない

  そして、限りある時間を大切に

  感謝の思いを忘れることなく――

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Source: りかこの乳がん体験記

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