どうも、ヨウ-P(@s_y_prince)ことYO-PRINCEです!
いろんな切り口からカイゴのヒントをお届けしています!
今回は、こちらのツイートを解説しながら、話を広げていきたいと思います。
大声で命令口調で指示する声かけで利用者の動作がスムーズに行えることがある利用者さん
家族からそんな対応を求められても断ります
『家族ならしていい介護』『他人ではできない介護』があることを説明し理解を求めつつ『他人だからこそできる介護』を模索します#介護にまつわる小さな引き出し
— ヨウ-P (@s_y_prince) 2020年3月5日
このツイートでは、「家族ならしていい介護」と「他人だからこそできる介護」という表現を使っています。
この記事においては、「家族としての介護」と「仕事としての介護」に言い換えて、この二つの関係性をもとに施設での「仕事としての介護」のあるべき姿をまとめました!
- 「家族としての介護」<「仕事としての介護」で考える両者の違い
- 「家族としての介護」>「仕事としての介護」で考える両者の違い
- 「仕事としての介護」は“究極の他人事の意識”と“程よい距離感”が強みだ!
- まとめ
「家族としての介護」<「仕事としての介護」で考える両者の違い
まずは、冒頭ツイートについて解説していきたいと思います。
認知症で難聴の方の場合に多いケースなんですが、例えば座る動作が緩慢であるときに大声でこんなふうに家族さんが対応されていたとします。
おとうさん!
ここ座って!
す・わ・る!
声かけが伝わりにくいときに丁寧に言っていたのでは変な動きをしてしまわれるので、短く大声で声をかけるわけです。
で、ご家族さんは介護士さんに求めます。
お父さんは、こう言ったらちゃんと座れるんです!
ゆっくり声かけてたら危ないんできつめに言うてやってください!
そう言われると断りにくいんですが、そこは介護のプロとして断りたいところです。
ご家族さんがそのように声をかけるのは問題ないんですが、他人である介護士に求めるのはしにくい対応なので他の方法で工夫させてください。
そんなふうに言いきりましょう!
そうは言いながらも、介護士だって実はそんな声かけはしてるんですよね…(^_^;)
それでも引き受けちゃダメなんです!
それを当たり前にしてはダメなんです!
言葉使いは丁寧を基本にしているぐらいがちょうどいい!
それは、言葉は気にしていかなければいくらでも乱れるものだからです。
特に介護現場では要注意なんです。
いずれにせよ、「仕事としての介護」は、仕事としての接遇を心がけるのが原則とすべきです。
仕事としての接遇だからこそできる介護はあるものです。
私たち介護士は、ここで取り上げたような「家族としての介護」はすべきではありません。
「仕事としての介護」のなかで最善を尽くすべきです。
他人だからこそ生まれる関係性を上手に使いながら、その距離感だからこそできる心地良い介護こそが、私たちにできる「仕事としての介護」なのです。
なれなれしい言葉は使わないと決めてしまえば、意外といろんな工夫が出てくるもので、意外と簡単なものです。
今回取り上げた座る動作が緩慢な利用者の場合で言えば、ジェスチャーでうまく介護できたり、利用者の視界に上手く入り込んで指差しや口話(口の動きで伝える)で伝えることもできたりするものなんです。
そして、それらは家族にもできることで、なるべく楽な介護方法の提案へとつなげることもできるのです。
この場合は、「家族としての介護」<「仕事としての介護」ということですね。
※接遇についての記事も書いているのでご覧になってください↓
「家族としての介護」>「仕事としての介護」で考える両者の違い
逆に、「家族としての介護」>「仕事としての介護」のパターンもあります。
これは、私たち介護士が家族の力を頼りたい場合ですね。
例えば、認知症の方の不穏時の対応は家族でないとどうにもならないときがあります。
そんなときにご家族に電話で対応してもらって落ち着いてもらえることがあります。
家族の持つ「安心」の力は、まさに「家族としての介護」です!
詳細についてはこちらの記事をご覧ください↓
他には、こんなケースもあります。
在宅で介護を頑張っておられるうちに、介護者のイライラが募り虐待に至ってしまうようなケースでの場合です。
家族はすがる気持ちで施設に頼り入所となります。
または、家族の虐待の意識はなく、行政のよる措置で入所となる場合もあります。
この時点では、「家族としての介護」<「仕事としての介護」です。
そんなケースでは、家族は本人と離れることによって本来の家族の姿を取り戻すことができることがあります。
取り戻せるように私たちが支援するわけですね。
そうなると、家族が本来持つ「安心」の力が発揮され始めます。
「安心」という意味では、通常で言えば「家族としての介護」>「仕事としての介護」なんです。
そんなことを書いた記事がこちらです↓
私たちは、ときとして家族が本来持つ「安心」の力を引き出す関わりをしながら、「家族としての介護」の力をお借りしています。
それがあるからこぞ、「仕事としての介護」が頑張れるのだと思います。
家族に支えられ、家族の理解のなかで頑張れる!
そんなことを書いたのがこちらの記事です↓
家族の力を借りることで、私たち介護士の介護の可能性がグンと高まると思っています!
「仕事としての介護」は“究極の他人事の意識”と“程よい距離感”が強みだ!
最後に「仕事としての介護」についてまとめておきたいと思います。
冒頭ツイートの「他人だからこそできる」というのは、この仕事をしていて良く使ってきた言葉です。
介護ってホンマ大変やね~。
私ら家族でも大変やのによ~やってやな~!
いや~他人だからできるんですよ!
僕も親の介護となったらできないですもんね~。
「家族としての介護」は身内なだけに「よくなってほしいという期待」や「分かってくれるはずという期待」などがある分、感情的になってしまうものなんですよね。
家族間の関係の悪さからの感情が邪魔することも多々あります。
仮に介護の知識がある者が家族の介護をしたとしても、それらの感情にはなかなか勝てないものなのです。
介護専門職がもし家族の介護に当たらなければいけないときに、感情の部分で「家族としての介護」=「仕事としての介護」とはなかなかならないんですよね…。
「仕事としての介護」は、そうした身内がゆえの感情がない分、冷静に介護に当たることができるんです。
究極の他人事の意識
他人である私たちは、その人を知らない分いろんな想像を膨らますことができます。
その人の情報をどれだけ入手しても、その情報に捉われすぎずに想像を膨らますことができます。
家族であればその人のことを知りすぎている分、どうしても先入観や固定観念に捉われてしまいがちなところを、その先入観や固定観念なしであらゆる情報を客観視することができるのは私たち他人です。
ところが、利用者に先入観や固定観念を抱いてしまう介護士さんって多いんですよね(^_^;)
利用者のことを思い過ぎるとそういう落とし穴があるんです。
家族に近すぎる存在になってしまうんですよね…。
他人だからと言って、中途半端な他人事ではダメなんです。
その人をある程度分かったところで落ち着いてしまいます…。
では、私たち他人である介護士はどうあればいいんでしょうか?
それは究極的に他人事と捉えることです!
他人やから分かるわけがないやん!
こうかもしれんし…。
いや、こうかもしれんなぁ!
とりあえずやってみんと分からんなぁ…。
これってよくよく考えてみると当たり前のことなんです!
私なんて、妻のことも息子のことも娘のことも親のことも、何を考えているか全くわかりませんから!
家族であれ本当のところは分かるわけないんですよ。
この「分かるわけがない」という究極の他人事の意識があれば、尽きないぐらいにその人の生活を想像できると思うんです。
その果てのない想像力こそが「仕事としての介護」の強みだと思います!
程よい距離感
あとは、距離感ですね。
他人だからこそ、その人と一定の距離をおいて関わることができます。
その距離感が、介護をしやすくしてくれるんです!
他人という距離感を保つほうが絶対に介護はしやすいです!
その距離感を保つためにも、「仕事としての介護」は原則敬語であるべきです。
「仕事としての介護」は、契約上の介護に全力を注げばいいんです。
「契約」という言葉を使うと、どこか冷たいように感じられるかもしれませんが、そんなことはありません。
仕事としての全力は尽くすわけですから!
究極の他人事と捉えて、分かるわけのないその人の生活を想像し尽すわけです!
下手に家族のような気持ちで近い距離感で介護をするよりかは、よほどいい介護ができるはずなのです!
介護ってどこまでするのかについての見解はさまざまですが、「仕事としての介護」と「家族としての介護」の線引きについては明確にしておいたほうが「いい介護」につながるなと感じています。
介護の線引きについてはこちらの記事も覗いてもらえたらと思います↓
まとめ
「家族としての介護」と「仕事としての介護」は違います。
「仕事としての介護」はお金をもらってする介護であり、家族の代替え以上の介護が期待されてしまいます。
とはいえ、介護というのはチームで行うもので、介護士が全て担うものではありません。
私は、「家族」の力には勝てないものがあることを長年の介護経験で幾度となく感じてきました。
「仕事としての介護」は、「家族としての介護」の力をうまく使いながらチームの力を高めて、「チームとしての介護」で1人ひとりの生活の質を高めていくべきものです。
そんなことを考えながらツイートしたのが冒頭のツイートでした。
「他人だからこそできる介護」にこそ「仕事としての介護」のあるべき姿があると感じ、今回の記事を書きました。
「究極の他人事の意識」と「程よい距離感」という一見冷たく感じるような強みを生かして「他人だからこそできる介護」の質を高めていけば、「家族」の役割も見えやすくなってくるはずです!
施設入所の場合は特に「家族」の役割を見えやすくする必要があります。
家族のなかには「私たちに何かできることはないか?」と思われていることもあるものですし、お願いすれば協力してくれることもありますから、施設が全部やってしまう必要はないんですよね。
「家族」の力をうまく使えるような介護がしたいものです!
Source: すべての道は介護に通ず【暮らしかるモダンなブログ】
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