患者会に見る、多様化の必要性

本日、開催されていれば、
『第132回 がんサロン』

当然のことながら、
新型コロナウイルスの影響で中止である

この11年と2か月の間で、
“中止”となったのは2度目

1度目は、数年前の吹雪だった

が、それでも吹雪の中、
1名、いらっしゃった方がいたらしい

今回も3人ほど、来ているような気がする

それほど
“この会を楽しみにしている”ということなのだろう

「いかに、患者会が必要な存在なのか...」と、
考えさせられる

そんな、“患者会”

このがんサロンができる前...

なので、もう12年ほど前になるだろうか、
乳がんの手術をしてまもなくの頃だった

「患者会を立ち上げたい」と、
思っていたことがる

  今でもその思いは残っている

が、
どうしていいかわからないまま月日が経ち、
今のがんサロンができた

そして私は11年と2か月、
ここにお世話になっているわけだが――

当初から感じていたのは、“多様性”

“がん”と言っても、当然のことながら、
部位が違う

たとえ部位が同じであっても、
年齢も違えば、置かれている環境も違う

中でも、

  ○年齢
  ○結婚をしているかどうか
  ○小さな子どもがいるか
  ○仕事を持っているかどうか

...に関しては、
とても大きな部分を占めていると痛感する

近年、若年化が進んでいるがん

最近では、『AYA世代』と言われている、
若年層の患者会も増えてきた

私が、がんサロンに求めていたのは、

  ○同年代の人
  ○同じ治療をしている人
  ○同じ治療で同じような副作用が出ている人

  ○できれば、私と同じ独身の人
  ○できれば、私と同じように、
   乳がんの治療のために、
   子どもが産めなくなってしまった人

...だった

が、
『第一回 がんサロン』に参加した感想は、

「自分の求めていたものではなかった」

ということだった

それは、やはり、“年齢”

自分の母親や父親、
おじいちゃん、おばあちゃんの世代が
ほとんどだったからだ

同じ乳がんの人はそれなりにいた

いや、がんの部位では、
乳がん患者が一番多かった

が、乳がんは、
年齢が違えば治療薬も違う

私と同じ治療をしている人には
残念ながら巡り合うことはできなかった

あれから11年経った今でも、
“年代の違い”は強く感じている

今でも、
「患者会をつくりたい」との思いは
抱いたままだ

サロンでは、
お子さんの話で盛り上がることがある

大学生やすでに社会に出ている息子さん、
結婚をして、遠くに住んでいる娘さん...

もちろん、私は話には入っていけない

...まぁ、そんなこともある

この11年間、
何人のがん患者の人たちに会ってきただろう...

そこには、たくさんの共感があった

誰もが不安を抱え、
心に痛みを持っている

抱えきれない大きな荷物を背負いながらも、
笑顔できらきらと輝いているのだ

私は、ここで救われた

だから、私がみんなを救いたい

もう少し、
私の居場所はここにしておこう――

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Source: りかこの乳がん体験記

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