熱田神宮には、境内にいくつもの鳥居が設けられています。
三の鳥居の手前には、本宮向かって右側に「東八百萬(ひがしやおよろず)神社」と、向かって左側に「西八百萬(にしやおよろず)神社」が、参道を挟んでちょうど向かい合うように鎮座しております。
前者は、熱田神宮より東のすべての神が祀られ、一方の後者は、西のすべての神が祀られているそうです。
わたくしも、全国沢山の神社にお伺いするなかで、こういった、沢山の神が一堂に会する摂社や末社などを見つけると、その場での祈りがより一層広く通じるようでとても嬉しくなります。目前の神のみならず、全国各地におわす神々に心からの感謝と、また、世の泰平なることを心から願います。
今回は、「西八百萬神社」の神よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「世(世の中)は、これより向かうべく、その彼方(かなた:ここでは“目的地”という意味です。)を見定めねばならぬ。
感ずる心(感性)と意志(こうしようという心意気)、そして、おこない(=実際の行動)の一体なること(※三位一体)が、今よりの(今後の)時代にあって、なお(一層)必要であろう。
この、各々の段(=分野)の繋ぎ(=連動)こそ、わが(日本の)民は深く心得、けして軽んじてはならぬ。
すべて、人たる魂は、肉体ありて、そして感ずること(感じる力・感性)と双方の緻密なる(連動の)仕組みを成す。
これら、人の仕組みの進みゆく(=うまく機能する)を求むるならば、まずは、その向かうべく“先”を、足元を築き(しっかりと立ち)、見定めてゆくのだ。
己の向かう場(=将来)、そして自らの在りどころ(=在り方)はいかなるべきか、心静かに内(自分自身)を感ずることである。
真に欠かせぬ物事、そして不要なる物事の、今ほど人々の魂に(それらの精査・選別が)迫られる時(時代)はなかろう。
日常の、目に見える(物質)は言うに及ばず、人のただ一人の身(身体)とても、すでに多くの要(い)らぬ物事が取り巻いている。
ゆえに、これよりの、真に逞(たくま)しく生き抜くべく、人類の歩みにあっては、民よ、自らにまつわる塵(ちり)、埃(ほこり)、そして穢(けが)れ、それらすべての淀(よど)みを祓(はら)うのだ。
人は、これまでに得し物事(※獲得した諸々)を悉(ことごと)く剥がされ、世に言うところの“裸一貫”(※自分の体のほかには何の資本も持たないこと)ーーー いまだ見えぬ彼方(未来)へ向け、自らの“足”にて歩んでゆくだろう。」
(熱田神宮⑥へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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