住吉大社の本殿からは少し離れた、南門に間近い境内に「三日恵比寿神社」はございます。
この神社でまっさきに視界に入るのは、拝殿脇の“恵比須神像”です。
にこやかに笑った恵比須様の御姿は、いかにも豊かな恵みをくださる雰囲気です。
この御像は、撫でる(触れる)箇所によってそれぞれ別の御利益があるということでした。
さて、“三日恵比須”の由来は、戦後この近辺に住んでいた方が、那珂川(なかがわ)で恵比須様の御神像を拾ったのちに大変な幸運に恵まれたそうで、この御利益を皆にも、ということで、昭和24年の1月“3日”に、当地に御神像をお祀りしたことがはじまりだそうです。
皆で福を分け合う、というのは、それを聞いただけでも幸せな気分になれますね。
今回は、この“福を分け合うこと”の意義について、恵比須大神にお伺いいたしました。
皆様の胸に明るい希望となれましたら幸いに存じます。
Rinokia
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「人の世はけして留まらず、人と人(あるいは人と物)との“巡り(=循環・作用・関わり)”を、何より欠かせぬ基(もと=基礎)とします。
ゆえに、自らに巡り来た縁(えにし)も、そして福(幸福・幸運・金運など)さえも、自らの内に留めてはならぬのです。
(少々笑みを浮かべて御言葉を続けられました。)
ちょうど、この(恵比須様特有の)腹のように、けして福を溜め込んではなりませぬぞ。
では、何を自らの内に溜め込むか。
それは、何を置いても“功徳”でありましょう。
世の中には、当然のことながら、周囲(他)から巡りくるものもあります。
では、周囲から巡りくる以外で、自らは一体何ができるか。
それは、功徳を積む、すなわち善行を重ねることです。こればかりは、けして他人が代わることはできぬゆえです。
ただし善行とは、何も人(他人)に施すばかりではないことも、また肝要(=大事なポイント)でありましょう。
自らの幸福感、喜び、そしてすべての物事に謝する(=感謝する)心もまた、(自分が)自分への善行を積む、ということなのです。
そうして、これらを腹の内に溜め込んだのなら、そこから出される“言霊(言葉)”は、何よりも素晴らしき“響き(※良いエネルギー)”をたずさえることでしょう。
こうして、より一層、自らが得た幸福を、福なる響き(良い言葉)をもって、他(周囲)へと巡らせるならば、やがて巡り来るものは、大いなる福徳以外はもはや来ようがないのです。
今や時代は、見事なまでに各々の生き方が、他の多くの人々へつぶさに作用を及ぼし、また、その(影響の)速さも古(いにしえ)の比類ではありません。
ゆえに、世の中の巡りゆくことの甚大さ(※良い意味でもそうでない意味でも)を、あなたがたには今一度、是非心得ていただきたいのです。
福は必ずや、この世に“巡る”のです。
ちょうど、この社(=三日恵比須神社)の由縁のとおり、一人の幸運が、果ては多くの民の幸福へと、次々と繋がったように。」
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Source: 神々からのメッセージ
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