夢にみた祖国、待っていた差別 シベリア抑留の98歳、今も消えぬ怒り

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新潟市中央区の井沢清司(きよし)さん(98)は20歳で関東軍に従軍し、終戦後に旧ソ連によって行われた強制労働「シベリア抑留」を経験した。「天皇陛下のために」との一心で従軍したが、軍や政府の理不尽な命令に加え、帰国後には差別に苦しみ、翻弄(ほんろう)された屈辱は今でも忘れていない。

日本への帰国がかなったのは49年の8月。突然のことだった。しかし、夢にまでみた故郷で待っていたのは差別だった。「ソ連から帰ってきた者は、共産主義に洗脳されている」「洗脳度合いをチェックする試験に合格したから帰らせてもらえたんだろう」。いわれのない言葉を浴びせられ、会社も辞めさせられた。「頭が真っ赤っかなやつとは話はしない」。同級生たちも離れていった。「自分の力ではどうもこうもならねかった。命をささげた人間たちを『ご苦労様でした』と迎えるのがあたりまえでねえか」。怒りで語気を強めた。

毎日新聞記事【北村秀徳】

まぁ、出身地による、と思いますね。

武漢コロナも、大都市圏以外は、感染すると村八分です。

田舎からは「お盆に絶対に帰ってくるな」と親に厳命されている方もいる。
で、シベリア抑留者ですけど、、、

当方の親戚で、シベリア抑留された方います。

技能が有ったので、、

その為に長期抑留されてしまい、帰国は遅かった。

帰国して、祖父の所に来て、借金をして、、

一年後、借金元金と利息とを持って祖父の前に来て、、

「叔父さんもう一年お願いできませんか」と、、

祖父は「ええで」と利息だけ受け取って、また貸したと、、

その元金で事業を起こして成功し、

今では心斎橋筋にビルを構えている。

差別されたとか、、聞いたことは無かったです。

その辺りは、大阪だから、かもしれませんね。
まぁ記事のこの方も、、

新潟鉄工所の機械工として働いていた1943年、高い旋盤技術を買われ、当時の満州・ハルビンで技術指導をする関東軍の教育隊に入隊した。

ですから、技能工ですから、ソ連でのシベリア抑留が長かったことと、、

たぶん強制収容所でも「指導側」になるんで、他の捕虜とは違い待遇は良かったはずです。

 教育隊は、現地農民から取り上げた500メートル四方ほどの土地に設置された。中には10人ほどの集落や小さな墓地もあったが、全て取り壊した。「当時私たちは、中国人が困っているとか、怒っているなんて全く考えなかった。土地を好きに奪って使うのは、それほど当たり前のことだと思っていたんです」

理不尽さってのはどちらもどちらで、、

だからソ連により扱いも、、
政府の命令で300キロ以上の道のりを歩き、満州・牡丹江に集められた。「ナホトカからの船で日本に帰れるのでは」と期待したが「関東軍や開拓農民は帰国できない」という決定が伝えられた。「天皇のためにと一心に戦ったのに、この仕打ちはなんだ。日本国民ですらなくなれと言うのか」。政府の理不尽さに、はらわたが煮えくりかえる思いだったという。

ジュネーブ条約違反だし、

日本政府の決定と言うよりは、ソ連側の決定ですから、、

捕虜ではない、オマエたちは日本から棄てられた、、

つまり、日本政府の指示だと「洗脳」された。

そういう意味では、、

「ソ連から帰ってきた者は、共産主義に洗脳されている」

ということになります。

どうしてジュネーブ条約に反して、シベリア抑留に強制労働と言う国際法違反のソ連に対して文句を一言も言わずに、、、

日本や地元に恨みだけを言い、、
「戦争史 理不尽・不正に翻弄されて」――。誰かの嫌がることをすれば、必ず報復される。戦争の反省を忘れず、国同士が温かい気持ちで手を取れる世の中になれば」

こういうタイトルになるんですかね????

それこそ、、
「ソ連から帰ってきた者は、共産主義に洗脳されている」
という証明だし、、
反日テロメディアの毎日新聞のニュースとして「利用されている」訳です。
京都新聞の記事ですけど、、
 大勢の人が死んでいったが、大地は鉄板のように固く凍り、死んだ仲間たちの埋葬もできない。放っておくしかなかった。仕方なかった。私も黄疸(だん)にかかって体中が真っ黄色になり、死ぬような思いがした。過酷で、人間の住むところではなかった。

 4年抑留され、帰還したのは1949年8月12日。復員船が来なくて当初の予定より1年延びた。梯団長として2千人を率いて舞鶴に引き揚げたが、実家に帰ると父が亡くなって3カ月がたっていた。生前、父は私のことをずっと待っていたようだ。帰国が延びなかったら、父に会えたのに。地元では「(帰国できて)あんたは良かったなあ」と言われるのが一番こたえた。

 92年8月、墓参団としてシベリアに行った。墓は整備されているところもあったが、誰の墓かも分からないところもあった。シベリアには約60万人が連れていかれ、6万人近くが亡くなった。収容所ではまるで奴隷のようだった。捕虜になり、ただ働きさせられるなんて国際法に違反している。それなのに十分な補償がない。おかしい。当時のことは今もよく思い出すが、孫に戦争のことを話しても「フーン」で終わり。だからこそ、話せるうちは伝えていきたい。

こちらは、地元では「(帰国できて)あんたは良かったなあ」と言われてたみたいですね。
※国際法違反の補償や賠償はソ連(ロシア)に請求すべきです。

取り敢えずこの辺で。
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Source: 身体軸ラボ シーズン2

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