先月の長い梅雨から一転、酷暑が続きます。皆様お元気でお過ごしでしょうか。
夏の暑さを感じる時季になりますと、終戦日と相まって、戦争について考えることが必然的に多くなります。
戦後75年が経ち、かつて戦争を経験された方々が少なくなりつつあるなかで、それでもなお語り継がれる真実、あるいは新たに供された資料などを目にいたしますと、今では考えられないほどの過酷な時代だったのだろうと、自分なりに思いを馳せます。
どれほどの惨状であろうとも、それでも生き延びてくださった方々、国を守ろうと命を賭してくださった先人たちに心からの敬意を表しつつ、今回は、先頃お伺いしました、山梨県甲府市にあります、護國神社にての御霊たちの御言葉をお伝えいたします。
この神社には西南戦争(1877年)以来の山梨県関係の戦没軍人・軍属の戦死者25039柱が祀られているそうです。
先人の御霊たちの切なる願いを感じていただけましたら幸いに存じます。
Rinokia
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「戦争によって、多くの命が失われました。そのなかには、国を思うがゆえ率先して(最期を)遂げた命もまた、数多くあります。
一つの命が失われることで、当人の人生だけでなく、数え切れないほどの人々の人生の行く末が変わることにもなります。
“戦争”という単にその言葉では到底収まりきらぬほど、この事象は、ひいては今なお多くの影響や、あるいは禍根さえ残すでしょう。
そうまでして、戦争によって我々(※戦争によって命を遂げた御霊たちのことです。)が成し遂げたかったものは何かーーーー
それは、第一義として国を守ることであり、家族や地域の人々の生活の安寧を敵国から守るという、頑ななまでの実直な想いです。
刻々と変わる戦況において、我々は、今まさに迫りくる危急に対し全身全霊で立ち向かうべく、万気を奮う(=全力を尽くす)ことを命(めい=使命)としました。
無我夢中で、目前に生じる出来事を少しでも良き状況へと仕向けることが我々に与えられた崇高なる任務です。自分の命の優先などを考えていることなどもってのほかです。
ですが、今や我々は、自らの状況を変え(=肉体を離れた状態)、“戦争”という名の一連の事象を考えますと、これまでとはまた別の意味合いを見い出しているのも事実です。
我々は、自らの命を賭してまで、一体何を守りたかったのかーーー
それは、今、冷静に考うる(考える)に、きっと、“次なる世(時代)のため”にこそ、この国(日本)を守りたかったのだと、しかと(明確に)気づいたのです。
当時の難局のさなか、自ら気を張り、踏ん張ることで、我々は、次(未来)への“架け橋”となるーーー
我々の命(=命が投じられたこと)によって、生き延びた者たちが命を繋ぎ、そして、再び新たな生命が生まれ、育まれていくとしたら、我々もまた命が同様に繋がれたと同じことです。
肉体を離れますと、現世に存命していたよりもなお一層、“時の流れ”を意識いたします。
それは、過去や現在、そして未来といった、時間の経過を、広く、さらにはより客観的に捉えたうえで、そのなかで自らの立ち位置(状況)と、存命の時(期間)の意義についても俯瞰(ふかん)できるようになるのです。
かつて我々が、地上に降ろされ(=生まれ出で)、そして、戦争という事象によって天へと引き上げる、その一連の流れにあって、それでもなお我々の魂は、完全に天へ召されたのではなく、実際には、この地上にしっかりと息づいております(※自分たちの魂が、霊界に居ながらも、光の玉となって、あたかも地上に在るように見えるのだそうです)。
“あぁ、我々はいまだこの国に生きているではないか”―――
天の神々の配慮ではありましょうが、我々はそれを見るにつけ、心底よりの“安堵”を得るのです。
あなたがたもまた、この国に真に(=本当に)欠かせぬ方々です。
今その一つひとつの行動が、その生きざまが、まさに、次なる世へと生かされることとなる。
信じていただきたいのです、一人ひとりの偉大なる力を。
我々の肉体が既に失われ、時代がどれほど経てもなお我々の魂は、この国の一端を成している。ですから、あなたがたはけして孤独ではありません。
この事実が、少しでもあなたがたの生きる力になるのなら、我々としてこの上なき幸せとなりましょう。
あなたがたと、そして我々は、いまだ見ぬ世(未来)へと、なお(=引き続き)共に歩んでまいるのです。」
以上。
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Source: 神々からのメッセージ
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