奈良の大神(おおみわ)神社と同じく、わたくしが毎年年末にお参りするのが、摂津国一之宮の住吉大社です。
対岸が見えないほどの急こう配が特徴の“反橋(そりばし)”を渡り、第一本宮~第四本宮の境内へと進みます。
この日はすでに夕刻が差し迫っていたため、例年であればそれ以外の楠珺(なんくん)社や種貸社など、時間をかけていくつも境内社を巡るのですが、定刻にきっちりと本宮以外のお社に続く門が閉められるため、今回は断念し、その代わりに各本宮を心を込めてお参りさせていただきました。
住吉大社は、いつお伺いしても参拝の人が途切れることはありません。ですが、皆様本当に一心にお参りされ、とても静かな空間と感じます。
本日は、第一本宮にての底筒男命(そこつつのおのみこと)よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「今や(文明の)利器により、世界は一層近く感ぜられ、人は、より遠く(の事象・人)を思いやる(=考える)ことが叶うようになった。
まるで、彼方(かなた)の海原(うなばら)を見やる(見渡す)かのごとく、人が船の操作(=技術)を向上させるにともない、益々、遠く(の地)を求め、“挑む”日々となるーーー
世は(今や)、ごく間近(な物事のみ)に終始する時代はとうに終わり、まるで船出(船旅)のように、日常に生じる荒波は絶えることなく、そなたたちはいずれも波にもまれ、大海原を渡りゆく(ような)時代となったのだ。
この荒波に漂泊する(=漂う)さなか、“舵(かじ)”こそすべてーーー(※ここでは、進路(将来)を決める大事な指針・目標などのことです。)
そなたたち一人ひとりに人生の舵は託され、そしてなお、この舵を切る場(フィールド)はより広範となった(=広がった)。
高波にも、そして荒波にもひるまず進め、わが民よ。
僅少(=ほんの些細なことや卑近なこと)ではなく、一刻も早く、展望高く(広い視野にて)この先を見やる(見渡す)“覚悟”を得るのだ。
古(いにしえ=太古の昔)の、身一つ、志一つにて海を越え国を渡る、まさに命を賭した先人の姿の、まさにこの世(=現代)において、これより(今後)人は、同じく様相を成すであろう(=同じ状況となるだろう)。」
(次回②へ続きます。)
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Source: 神々からのメッセージ
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