子どもがいない私にとって...

その他

若い頃から婦人科には不安があった

が、まさか自分が
子どもが産めなくなるなんて
思ってもいなかった

しかも婦人科の病気ではなく、
“乳がん”でなんて――

そもそも私は
ほかの方たちのブログは見ない

...というのは、
当初から言っている話

それは『乳がんブログ』に限らず
どんなジャンルでも同じ

  動画サイトなどもほとんど見ない

  それでも
  ブログをはじめてから2年くらいの間は、
  やり取りをしていた何人かのブログは
  見ていた

そう、ブログは、
自分の意志で見ないことは可能

が、SNSはそうもいかない

フォローしている人や
お勧めの画像・動画が勝手に出てくる

  まぁ、止めることもできるのだけど

なのでどうしても目にする機会が増える、
“子ども”の投稿

中学生や高校生くらいになると
まだいい

が、

「子どもが生まれました」
「今日は3歳のお誕生日」
「小学生になりました」

となると、いい気持ちがしない

そう、未だに...である

乳がんがわかったとき、主治医に、

「子どもは産めますか?」

と、聞いたことがある

乳がんを5年放置され、
肝臓に転移が認められたときだった

いろいろ調べて、
“産めない”とわかってからの質問でもあった

主治医は言葉を選びながら、

「うーん、リスクがあるね~」

と私の顔を見ずにそう言った

手術が終わって2週間の入院の最終日、
両親も呼んで、
乳がん発覚時からの経緯や
これからの治療の説明を受けているときだった

主治医はおもむろに、

「もう子どもは産めせん」――

両親の前で
言ってほしくない言葉だった

そのことは主治医の口から
両親には知らされたくなかった

なので事前に、
「両親には詳しく話さないでください」
と、お願いをして、事前に私だけで
主治医の説明を受けていたのだが...

  子どもが産めなくなったことだけではなく、
  治療の内容も
  両親には知られたくなかった

もちろん乳がんがわかったとき、
母には
「もう子どもは産めない」という話は
したことがある

が、娘の私から
会話の中でなんとなく聞かされるのと、
医者からきっぱり言われるのとでは、
きっと両親の衝撃度が
違うような気がしたのだ

どれだけこの現実と闘ったきたか...

どれほどこの現実に
向き合おうとしてきたか...

乳がんがわかる半年前に、
“子どもを産むため”に、
子宮筋腫の摘出手術を受けていただけに
余計にその衝撃が大きかった

14年間つきあってきた彼にもご両親にも
本当に申し訳なかった

  まだ結婚は決まっていなかったが、
  お父様には
  跡取りを期待されていただけに...

乳がんから5年、10年と、
子どものことは吹っ切れてきたつもりだった

が、やはり心の奥底には、
遣り切れない感情がくすぶっている――

  子どものことが書かれているブログは
  これからも絶対に開くことはしない
  (正直、お子さんに関しての
   記事タイトルを見るだけで胸がざわつく)

  それは、自分の心を
  少しでも守るために...

  今日もハロ

    うっすらだけど...

2025/04/23 ハ ロ

  今日は一日、
  出たり消えたりと忙しいハロ

  「ハロは天気が崩れる前触れ」

  と言われているように、
  またあさってから雨予報

  来週1週間、雨だ

  なかなかしっかりと
  晴れてくれない春である

  桜はいつ咲いてくれるだろう...

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Source: りかこの乳がん体験記

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