“生きる権利”。“死ぬ権利”。

そもそも、“生きること”は“義務”なのか...

いや、“義務”ではない

そこにあるのは“権利”――

先日の、

『ALS(筋萎縮性側索硬化症)の50代の女性を
 安楽死させた医師2人が、嘱託殺人の容疑で逮捕』

という衝撃的なニュース

手を下したのが主治医ではなく、
“SNSで知り合った医師”であることにさらに驚いた

同じALSを患っている参議院議員の男性は、

「死ぬ権利よりも、
 生きる権利を守る社会にしていくことが大切」

と、訴える

「患者が“生きたい”という声を上げづらい世の中だ」

というのだ

それにつられてかどうかはわからないが、
ある女性医師も、

「“死ぬ権利”よりも、“生きる権利”を守ってほしい」

と声高に訴えていた

ひとはきっと、この世に生を享けた瞬間から、
“生きる権利”を持っている

誰もが生きていいいはずだ

が、

「余命1年」と告げられ、
日に日に身体が動かなってゆき、
周囲の人たちの介助なしには生きていけない――

そんな中で、きっと彼女は、
“生きてゆく希望”を
見い出せなくなってしまったのだと想像する

当然、周囲にかけてしまう迷惑も考えただろう
 (周囲は“迷惑”とは思っていないにしても)

動かない身体では、
自ら命を絶つことも不可能だ

この状況で、
「“生きる権利”を守ってほしい」と世に訴えるのは
彼女の意に反するような気がする

“生きる権利”を放棄し“死ぬ権利”を選択したのは、
なにより彼女自身なのだ

そもそも、ひとには、
“死ぬ権利”があるのだろうか――

5年前に甲状腺がんの再発で亡くなった母は
“延命”を望まなかった

「一度心臓が止まったとき、
 心臓マッサージや人工呼吸器で延命することは、
 お母さまは望まれていません。

 延命措置でたとえ蘇生したとしても、
 意識が戻ることはありません。
 数日間、生きることもないでしょう。
 おそらく、長くても数時間です。

 どうしますか?」

母が余命幾ばくもないとき、
主治医にそんな確認をされた

そして私たち家族は、母の意思を受け入れた

それはきっと、
母にとっての“死ぬ権利”だったのだと思う

がん患者は、万が一、病気が進行していけば、
やがて終末期を迎える

「自分がどうしたいか、
 意識がはっきりしているうちに決めておいた方がいいよ」

そう看護師さんに言われたことがある

もちろんこれは、なにも“がん”に限ったことではない

「どうしたいか...」

元気な時は、“その時”のことが想像もつかない

“その時”が近づけば、気持ちが変わるかもしれない

が、とりあえず、

エンディングノートに
記しておかなければならない事項である――

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Source: りかこの乳がん体験記

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