下野国一之宮 日光二荒山(ふたらさん)神社① 本殿【影響を及ぼすことの真意】

その他

日光東照宮境内脇に通る参道「上新道(うわしんみち)」にて、僅か徒歩3分ほどで、二荒山神社へ辿り着きます。

“縁結び・良縁”の神様として知られ、「大己貴命(おおなむちのみこと)・田心姫命(たごりひめのみこと)・味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」の親子神三柱を“二荒山大神(ふたらやまおおかみ)”としてお祀りしております。

今回は、本殿にてお参りした際の、神の御言葉をお伝えいたします。

皆様がお健やかに、日々希望を胸にお過ごしになられますことを心より祈念申し上げます。

Rinokia

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「人はいずれにしても(=良いも悪いも)、互いに“影響”を及ぼし合っております。

互いにこの世において生き合うならば、少しでも良い影響を及ぼしていきたいと、誰しも心に思い描くのではないでしょうか。おそらくは、自らの“生き甲斐”にも通じる事柄でしょう。

しかしながら、本来は、こうした“影響を及ぼす”というのは、実質(=実際のところ)を現しているのではありません。

では、人間という魂が、互いに物理的にも、あるいは精神的にも関わり合うことで成り立つこの世において、本当に“影響する”ということはどういうことか、あるいは、どうすれば、本来の意味での“影響を及ぼす”ことになるのかを、今一度考えてみようではありませんか。

それは、何らか(の影響)を故意にもたらすことを主眼としてはならない、ということです。

影響を及ぼす、ということは、もしかしたら(場合によっては)非常に押しつけがましいことにもなりかねません。同じ極同士の磁石のように、近づこうとすればするほど、避ける(遠ざかる)作用が働いてしまうでしょう。

この世において本当に人々が“輝いている”と思える(感じられる)人は、少なくとも、自身が(あえて人に)影響を及ぼすことなどは考えていないのではないでしょうか。

人と人とが関わり合い、互いに影響を受けているとはいえども、究極的には、影響を及ぼすのではなく、相手のエネルギー(波動)を受け取った当人が、自ら(その相手のエネルギーを)透過させることにより、影響を受けた状態へと自らを変換させるのです。

ですから、真に魅力をもつ人は、人に影響を及ぼすことを目指しているのではなく、いずれにしても向き合うのは“自分”であり、今まさに自らがどのような状態(=溌溂(はつらつ)と生きられているか、精一杯日々を生きているか)を、意識はせずとも常に追い求めている(追求している)のです。

人の“魅力”とは、実際そのようなものと理解していただければと思います。

自ら醸し出す雰囲気(誠実に生きる姿)をこの世のあらゆる場面で表わし、それがまた、人々が自ら生きる勇気や励みとし、そして共に明日を創る喜びとして変換していくとしたら、この世は実に素晴らしいと思いませんか?

あなたなりの、真摯な生き様は、可憐に咲き誇る一輪の“花”となります。

この一輪が、互いの真摯な生き様を呼び起こし、ついには幾本も幾本も(※一人ひとりの生きる様子を示しています。)伸びゆき、この世に埋め尽くされたなら、互い睦まじく、祝い合う(歓(よろこ)び合う)御代(時代)が訪れることでしょう。」

(次回②へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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