中禅寺(ちゅうぜんじ)は、日光を開山された「勝道上人(しょうどうしょうにん)」によって建立(こんりゅう)されたお寺で、世界遺産「日光山輪王寺」の別院です。
御本尊の“十一面千手観音”は国の重要文化財で、勝道上人が中禅寺湖上に千手観音をご覧になり、その御姿を桂の立ち木に彫ったと伝えられているそうです。
日々沢山の“祈願”を専門におこなう、まさに長らく人々の願いを受けとめていらしたお寺です。
この御本尊は、現在も地に根を張っているそうです。千手観音ですから、腕の多さと、それぞれの持物(じもつ)が大変精巧に作られていて、創作に際しての入魂の様子がひしひしと伝わります。
さらには、観音様のややふくよかで柔和な御表情が、参拝する方々の心を和ませてくださいます。
本日は、中禅寺の御本尊からの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「木々は、当初こそ、地下(=地面の下)に元(=根)を張りますが、やがては、地上へと芽を出し、そしていまだ見ぬ世界(外界)へと、まさに心赴くままに(=伸びやかに)枝とそして葉、あるいは花を咲かせることでしょう。
生命の源は、まさに、元(※ここでは根っこ、という意味です。)にありますが、その内なる力は、果ては、より大きな世界へと表していくのです。
人の内(=心)には、大小様々な“想い”があります。
それは何かしらの考えであったり、内に秘めた感情さえあるでしょう。
あるいは、遂げようとする意志であったり、気概(=やる気)も、あたかも渦巻くように、わが身に巻き起こります。
人間は、いずれにしても“表現”の力をもちます。
ですから、自身のそうした意気(意思・やる気)は、内に籠めず、外(外面)へと示していくことが肝心です。
この世は、無論、見えない側面も、あるいは、人との関わり合いのなかでは、長らく慣習や習俗などによって、“あ・うん”のごとき(=阿吽の呼吸のように)、繊細に思い測りつつ互いに行動するべきものでもありますが、そういった土壌が前提たる世であるからこそ、むしろ、外面へとあえて自らの意気を表していくことは、なお(一層)必要であるとも申せます。
誠に複雑たる人と、そして物事の交わり(=幾重にも交差する状況)によって、真実(本当に)互いに分かり合えることばかりではありません。
ゆえこそ、自らに備わる“身”(姿形)にて、自らの志、思いやり、そして愛ある生き様こそを果敢に示していただければとわれら(御仏)は願います。」
以上。
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