岩手県 盛岡八幡宮④ 阿国(おくに)稲荷神社【“演じる”ことの意義】

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先頃の記事、盛岡八幡宮の境内社「天神社」のすぐ隣に、「阿国(おくに)稲荷神社」が祀られております。

芸能上達や商売繁盛などに御利益ありと言われ、盛岡芸妓の守り神として、盛岡市内の劇場敷地内に造られたお社を、数年ほど前にこの境内に遷座したそうです。

本日は、阿国稲荷の神より御言葉をお伝えいたします。

Rinokia

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「“演じる”とは、ある特殊の世界のみに許されたものでしょうか?

日常において、もし“演じる”ことをしたならば、大概は否定的な印象をもたれるやも(もたれるかも)しれません。

ですが、時として演じることもまた必要なのです。

人と幾多関わり合う世において、互いの影響は少なからず生じるでしょう。

もしある一人が、心身混迷しているとしたら、ひいては周りの人々がその混迷のなか(渦中)に陥ってしまうこともある。

一方で、乱れる世相のそのさなか、たった一人でも“今こそ”と息巻く(=勇敢に行動する)のであれば、それは“希望の光”にさえなることでしょう。

人は、何人(なんぴと)も、互いの影響について、物質とそして目に見えない側面、その双方の仕組みを心得ていなければなりません。

だからこそ、あなた一人でも、心を天へ向け(=志を大きく)、気を吐く(=意気盛んなところを示す)のです。

昨今、そのまま(=ありのまま)を、重宝(※この場合には、“大切にするべき”という意味です。)とする傾向にあります。

なるほど、それも素晴らしい観念です。

ですが、時として(場合によっては)気を張ることで、その姿に人々がその気を受け(=感化され)勇気づけられる、そのための“演じる”ことの良さを信じたい。

悲嘆や苦しみの多い世は、いつの時代も同じこと。

それでも、あなたがたの先人は、どれほど困難のなかにあっても、たとえ希望の一筋すら見出せぬ世情にあっても、面(おもて=顔)を上げ、愚直なまでに生き延びてまいりました。

人間には、底知れぬ根気(=根性)がある。

あなたがたもなお(同様に)、明日への歩みを進めねばなりません。

人間という存在が、互いに影響を及ぼし合う、その連動の(=連動性の強い)最たる生命であるならば、あなたこそは、明るく燦々(さんさん)と照り輝く太陽のごとく、光放つ“勇者”であれ ーーー」

(次回⑤へ続きます。)

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Source: 神々からのメッセージ

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