柞(ははそ)稲荷神社の並びに “日御碕宮(ひのみさきぐう)”が祀られております。
こちらの御祭神は、須佐乃男命(すさのおのかみ)で、“悪疫退散”の神として祀られているそうです。昨年、疫病退散で有名になった“アマビエ”もしかり、やはりいつの時代も人類は疫病と闘い苦難を乗り越えてきたのですね。
一日も早く世界すべての人に平穏な日常が戻ることを願い、静かに祈りを捧げました。
本日は、日御碕宮の神よりの御言葉をお伝えいたします。
Rinokia
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「何事も“一方通行”ではいけない。
この世は、人も物事も“互い”の関わりあってこそ、すべては何ごとか(=何かしら)へ向かう(変容する・至る)のである。
頑なな、意固地(いこじ)の“心”ーーー
聞く耳を持たぬは、何にも勝る(=何よりも酷い)“病”(やまい)そのものである。
目を閉ざす者(※ここでは、見るべきものに目を向けない、という意味です)、耳を塞ぐ者(=人の忠告・アドバイスを聞き入れない者)はおらぬか?
いいや、もはやこの世の多く(の民)が、内実(=実際には)自らの観念に固く囚われ“相互”の関わりありての(生命・社会の)存続、というこの世の理(ことわり=道理)を忘れ去っているのではなかろうか。
天より見るに、民(の多くは)今、誠に狭き閉ざされた囲い屋(=ごく狭い空間)へ自ら進んで入り、長らく居座り、はては暗黒なる“主(ぬし)”(※ここでは他に悪影響を及ぼす厄介者、という意味です。)となるーーー 実に忌々(ゆゆ)しき様(=現象)。
瓦解せよ、この閉塞を。
打ち崩せ、わが愛しき民が次々と陥(おちい)る囲い屋の“罠”を。
何人(なんぴと=いずれの人)も、けして単体ならず、そして孤独に非(あら)ず。
この世は双方(互い)交わりと、巡り(=循環)によって成る(=成り立つ)。
神の意(=真理)を忘却する民は、この先(骨の)髄に至るでまで、自らのおこないの正邪(良し悪し)を見る(=実感する)ことになろう(=なるだろう)。
われは、すべての民の心開ける(=改心する)日を待つ。
そして、何より先んじ(あるいは誰よりも先に)、呼応(=相互の関わり)の意を会得(えとく=深く理解)する者は、これより(=今後)新しき日の目(※これまでにない展望・希望)を見ることとなるだろう。」
(次回⑥最終回となります。)
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Source: 神々からのメッセージ
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