隠し通す難しさと、寄り添う難しさ。

私の乳がんがわかる2週間前、
母の甲状腺がわかった

同じ時期にがん告知を受け、
同じ時期に検査をし、
同じ時期に入院をし、
同じ時期に手術をし治療をしてきた

違うことと言えば、乳がんは外科、
甲状腺がんは耳鼻咽喉科ということだ

私自身ががん患者であり、
がん患者を持つ家族でもある

自分のことで手いっぱいの中、
家族のことも考えなければならない

が、私ががんになったことで母の転移、
そしてその後の経過を冷静に見られたような気がする

きっと“がん”という病を理解していなければ、
何もわからず狼狽え、右往左往し、
ただ悲しみに暮れただろう

父もそんな私を頼っていたように思う

  私にとってみれば、正直、大きな負担でもあった

術後療法のあと、
「身体の中にがんは見つかりません」

そう言われていた母

が、手術から5年後、肺に転移

治療法がないまま、ただ死を待つだけになった

3年後、
動けなくなった母は、緩和ケア病棟に入院する

そのときにわかったのが、小脳への転移

動けなくなったのは、
小脳が腫れているのが原因だった

そしてこのときはじめて、「余命2か月」を告げられる

それでも、“普通”に母に接しなければならない

余命を悟られるわけにはいかないのだ

幸い薬が効き、小脳の腫れはすぐに収まった

それと同時に、リハビリがはじまる

衰えた足の、歩行訓練だ

それは、母が望んでいた“家に帰る”ため

そして母は約1か月の入院生活から、
退院に至ったのである

おそらく、
緩和ケア病棟から退院する患者は珍しいだろう

最後にやり遂げなければならない大きな仕事があったことが
目標となり、退院に向かわせたのかもしれない

が、退院は、決してがんが治ったからではない

“余命”が延びたわけでもない

残された命の時間が確実に少なくなってゆくのは、
変えられない事実だ

そんな元気な母を見て、父は、
「まだまだ生きられる」と思っていた

それは、祖父と祖母が老衰で数年寝たきりになったように、
母も同じような最期を迎えると思っていた

『お父さん、がんは違うんだよ...』

言葉にならない声が心の中でこだました

家での母の生活は、時間がゆったりと流れた

庭に腰かけ、
「ほら、お父さん見て。きれいに花が咲いたよ」

と、大好きだった花を愛で、
庭の野菜が育てば大切そうに収穫していた

「体調が悪い」と言うこともなく、
小脳に転移した腫瘍が頭痛を引き起こすこともない

肺にたっぷりと水が溜まっていたにもかかわらず
呼吸も苦しくなければ、咳一つするわけでもない

  ただ、血中酸素飽和濃度は低くなっていた

それでもやっぱりがんは怖いもので、
一日一日、目に見えて母の身体は衰えていった

一度も横になることはなかった母だが、
退院から1か月も経つと
さすがに食べ物が喉を通らなくなっていた

「もうダメかもしれない」――

かなりの倦怠感だったのだろう、
そんな言葉が母の口から漏れた

こんなとき、家族はなんと言ってあげればよいのか...

私自身ががん患者でありながら、
かける言葉を失っていた

「入院するかい?」

全く食べられない母を見て、そう聞いてみた

「いや、入院はしたくない。
 今度入院したら、もう家に帰って来られない」

と、最後まで入院することを拒んでいた

が、父も私も、少しでも早く病院に連れていきたかった

「病院に行ったら点滴してもらえるから、
 そうしたらまた前のように元気になって退院できるよ」

そう言うのが精一杯だった

「じゃあ、あしたの朝まで考えておいて」と、
私は母に決断を託した

翌朝、母は「病院に行く」と口にした

余程、具合が悪かったのだろう

そして再び、緩和ケア病棟へ

以前は4人部屋だったが、今回は個室

それは即ち、“最後のとき”を意味していた

「あと1週間だと思ってください」

主治医の言葉だった

そして主治医はつけ加えた

「もっと早い可能性もあります」

「会わせたい人がいたら、今のうちに...」

看護師さんがつけ加える

ドラマで何度も見たことのある台詞が、
まさに、今、ここで展開されている――

とうとうこの日が来てしまった

母はもうすぐ死ぬんだ......

止まってほしい時間

抗えない運命――

そして母はその日の夜遅く、
誰にも看取られず、たった一人、
あの飾り気のない真っ白な部屋で息を引き取った

あれから、がん患者の家族としてできることを
考えるようになった

患者が...私の母がしてほしかったことはなんなのか

それは決して、私自身の自己満足ではあってはいけない

「ああしてあげればよかった」
「こうしてあげたかった」

そうは思わないようにしたい

が、人は後悔するイキモノでもある

「でも私は絶対後悔しない」

そう決めての、母との終末期だった

余命を隠し通さなければならない家族の思い

そして、それにどう寄り添っていくか...

本人に悟られないよう、
これまでの距離を保ちながら...

が、もうすぐ死んでいく人を目の前にして、
そんな冷静ではいられない

難しい距離感――

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Source: りかこの乳がん体験記

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