“最期”を見極めるとき ~セオリーと、自分ががんになって冷静になれたこと~

自分ががんにならなければ、
きっと狼狽えた母の再発

がんの進行度合いもターミナルケアも、
セデーションへの理解も、

自分ががんにならなければ
きっと何もわからないまま、
母の死を迎えたのだと思う

そして、多少はがんの知識を身につけた分、
どこか冷静だった自分...

「私がしっかりしなければ」

“がん”という病に無知な父を見て、
そう思ったのは確かだ

そんな父自身も、私を頼っていた

母が「余命2か月」を告げられ、
その“2か月”が迫ろうとしていたときでも、
母は床に臥すこともなく、生活していた

食事も量こそ減っていたが、
自分で食べていた

そんな母を見て、

「本当にもうすぐ死ぬんだろうか」

そう思った

が、そこは、さすがに“がん”

“そのとき”は、一気に来るものだ

亡くなる前日には、食事も摂れない

黙って座っていることさえつらいようだった

「横になる?」

そう聞いても、

「いや、いい」

と、
テーブルに覆いかぶさるように座っていた

“横になると、もう起き上がれない”とでも
思っていたのだろうか

私は、
“足が浮腫むとあと2か月”という昔からの謂れを、
余命の告知を受けてからずっと気にしていた

見た目では、浮腫んでいる感じもない

靴も履けていることから、
おそらく浮腫みはなかったようだ

まさか母本人に、
「足、浮腫んでない?」と聞くわけにもいかない

そして亡くなる前日、
母がテーブルに突っ伏していたとき、
どさくさに紛れて足に触れてみた

全く浮腫みはなかった

『まだ生きられる』

そのとき、そう思った

が、その翌日、母は死んだ

亡くなる数日前から、母はとにかく、
「眠い」「眠い」と言っていた

おそらく、脳が酸欠になっていたのかもしれない

肺がスポンジ状に水が溜まっている状態でも、
呼吸が苦しいわけでもない

肺の転移が7cm以上と
大きくなっていたにもかかわらず、
咳が出るわけでもない

小脳に転移していたが、
頭痛に悩まされることもなかった

医師も不思議がっていた母の終末期

眠るように亡くなった母を見て、
苦しまずに過ごせたことに安堵した

それは、母自身もそうだが、
それを見守る家族も同じだ

“がん”は、苦しんで亡くなるイメージがある

母のような症例は珍しいのかもしれない

がんを5年放置した私が今、生きていて、

手術、治療を終え、
「もう身体の中にがんは見当たりません」

そう言われた母が再発

そしてその母が先に逝った

しかも、苦しみさえない

“がん”はセオリー通りにはいかない

そこには本当に、
“奇跡”というものが存在するのかもしれない

最後まで諦めてはいけないのだ――

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Source: りかこの乳がん体験記

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