時々、生きている意味を見失う。

中学生の頃から、時折、
「この世から消えたい」という願望を抱いて
生きていた

そんな私が、
乳がんがわかったとき、
「死にたくない」と強く思った

“治療をはじめれば、もう子どもは産めない”

そう知ったときは、さすがに躊躇した

「このまま治療をせずに、
 子どもを産もうか...」

そう考えた

  結婚をしていないのにもかかわらず...である

が、結局、治療することを選択する

“未来のまだ見ぬ命”より、
“今ある自分の命”を選んだのだ

痛い手術をし、

後遺症が残る腋窩リンパ節郭清をし、

再発をしないために薬物療法をして...

それは、“生きてゆくため”に

そう、
私は“生きてゆくため”に、
治療することを選んだはずだった

が、治療がつらすぎて、

なんのために治療をしているのか...
なんのために生きているのか...

こんなことをしてまで、
生きてゆく意味があるのか...

と、思うようになる

“生きるための治療”が、
いつしか
“治療のために生きている”

という状態になっていたのだ

“生きること”は、
“目標や目的”が大切”だと、
がんになって知った

そして、
“誰かに必要とされている”ということも

そのどちらかが欠けたとき、
自分の存在意義を見失ってしまうのだ

ある人が言っていた

「ひとは必ず、誰かに必要とされている」

自分のためだけではなく、
ひとは、きっと、
“誰かのため”にも生きている――

  “乳がん”という経験を
  誰かのために伝えていけたら、
  それが今の私の使命なのかもしれない

   1日1回、応援のクリックお願いします
       日々の励みになります
    両方押していただけると嬉しいです
       ↓         ↓
    にほんブログ村 病気ブログ 乳がんへ
  人気ブログランキング   にほんブログ村


 ★しこり発見から治療までの経緯は⇒
こちら

 ★さらに詳しい経緯を更新中⇒≪私の記録≫から

 

Source: りかこの乳がん体験記

コメント

タイトルとURLをコピーしました