神の詩 第一章第十二節

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神の詩 第一章第十二節

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「ドゥルヨーダナの士気を高めるために、クル族の最長老で勇敢な祖父のピーシュマは、
獅子吼して、法螺貝を吹き鳴らした。(十二) 」
「獅子吼して・・」

これは動物的な描写となっています。

人間は、
動物的な属性と神の属性の両方を併せ持っています。

そして
そのどちら側へ意識を動かすかは、
人の選択にかかっています。

同じ
「愛」
でも、
「動物的な愛」と
「人間的な愛」と
「神聖な愛」では、
とても大きな質的な違いがあります。

同じ「気持ちよさ」でも、
動物的な「快感」、
人間的な「幸福」、
神聖な「至福」
では、とても大きな違いがあります。

人間は、
動物と神の間に架けられた橋のような位置にいます。

ドゥルヨーダナ側の軍勢は、
ビーシュマの獅子吼に象徴されるように、
動物的な方向性を選んだのです。

さらに
獅子吼は、
動物的な呼吸も意味しています。

人は呼吸によって、
意識を神聖な方向へと向けることが可能ですが、
動物ではそれは出来ません。

この獅子吼は、
動物的な呼吸も象徴しています。

動物的な呼吸は、
肉体を物質世界に強く繋ぎ止めておくことが出来ます。

人は呼吸によって、
自分の心とエネルギーシステムを変化させられる
唯一の生命体です。

ここでは呼吸の大切さも暗示しています。

経典「アーナーパーナサティ・スッタ」の中で
釈迦大師は、
呼吸によって、
怖れや怒り、欲望といった悪しき性質を善いものに変容させることが出来る方法を示しています。

呼吸は、
自らの心「息」と書く通り、
心の状態と密接に関連しています。

呼吸は、
無知から目覚めるために、
意識をコントロールし、
心を解放するために
とても重要な役割を果たします。

呼吸と心を止めることや心の全体を深く観ることは繋がっています。

「悪しき者たちは、引き裂こうと、いらだつ獅子のごとく、隠れて待つ子獅子のようです。」詩篇17-12
「利己的なことを求めてはいけません。そうでなければ、それがあなた自身の身に降りかかり、あなたの善良な目的を破壊するかもしれません。神が望まれることだけを求めさない。」エドガー・ケイシー5346-1

この先の数節は数節は
特に重要になっていきます。

「その時、突然、法螺貝、大太鼓、小太鼓、軍鼓、角笛が一斉に鳴り響き、すさまじい喧騒に包まれた。(十三)」

今日は
この節をしっかりと内観しておいてください。

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Source: ひかたま(光の魂たち)

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