神の詩 第一章第十四~十六節 1/7

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神の詩 第一章第十四~十六節

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「すると、マーダヴァ(クリシュナ)とパーンドゥの子(アルジュナ)は、
白馬に引かせた荘厳な戦車の上で、神聖な法螺貝を優雅に吹き鳴らした。(十四)」
「クリシュナ(フリシーケーシャ)はパーンチャジャニヤという法螺貝を、
アルジュナ(ダナンジャヤ)はディーヴァダッタという法螺貝を吹き鳴らした。
猛将ピーマ(ヴリコーダラ)はパウンドラという大法螺貝を吹き鳴らした。(十五)」
「クンティの子・ユディシティラ王はアナンタヴィジャヤという法螺買を吹き鳴らし、
ナクラはスゴーシャ、
サハデーヴァはマニプシュパカという法螺買を吹き鳴らした。(十六)」

ここを読み飛ばしてしまう人がとても多い箇所です。

しっかりと
内観して読んでみてください。

多くの情報が隠されています。

この部分は、
浅い解釈だけにしておきます。

とても重要な意味が二重三重に隠されていて
ここでは
書ききれないからです。

霊的中枢であるチャクラ、
そして
段階的なサマーディ(瞑想の諸段階)までが
示されている部分になります。

瞑想の概略がここで示されます。

サマーディは、
「ヨーガ・スートラ」の定義では、
「瞑想そのものが形を失ったかのような状態となり、その対象自体が輝く時のことをいう。」
と記されています。

簡単に言うと、
「神聖なるものと人が一つになる境地」
のことを言います。

瞑想の雑念・雑音の後には、
美しい調律ある旋律が聴こえるようになっていきます。

これは音声を超越した音で、
これらの音は
シャブダ
とも称されます。

身体の奥から聴こえてくるこれらの音によって、
瞑想者はさらに深く意識の中に入っていくことになります。

これらの音は、
ある程度瞑想の進歩の指標にもなります。

他に瞑想の効果を実感する指標としては、
安定した長い瞑想時間でもなく、瞑想によって得られるさまざまな現象でもありません。

日常生活でどれだけ心が深く優しく穏やかになっているか
最も大切な指標になります。

クリシュナとアルジュナの乗る白馬に引かせた荘厳な戦車は、
火の神アグニがアルジュナに寄贈したものです。

火の神アグニは、
人と最も親しい神です。

私たちの生体を使った人間活動は
火の元素
が基盤になっているからです。

アルジュナがアグニの戦車に乗ったということは、
清浄な心身の中で火の元素が活性化したということ。

最も動的な生命エネルギーである火の元素(クンダリーニの火)が動き出したことを意味します。

またアグニは、
祭祀において数多く生まれる神とも言われますが、
アルジュナと同じ解脱の道へ
数多くの人が歩むようにとの願いも含まれています。

清らかな火のエネルギーは、
人を浄化し、
知性を高め、
活力を与えてくれるものです。
この戦車は
肉体を現わしています。

生命場において、
肉体を纏っている姿を戦場の戦車で表現されています。

戦車に繋いである馬たちは、
感覚器官を現わしています。

そして
その馬が白馬であるのは、
純粋性と正義の象徴です。

そして
戦車を導いているクリシュナは、
真我の象徴でもあります。

聖書にも白馬は象徴的に使われています。
「見よ、そこには白い馬がいた。それに乗っている御方は、「忠実で真実な者」と呼ばれ、正義によって裁き、また戦う方である。」ヨハネの黙示録19-11

続きます。

君が代から神が代へ 上巻
森井 啓二
きれい・ねっと
2018-12-18


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Source: ひかたま(光の魂たち)

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